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【短編小説】制服で側転したいんだ



廊下でクラスの男子数人が騒いでいる。バク宙の練習をしてみたり、側転を見せ合ったり。飽きることもなく最近はずっと。教室の女子に「男子危ないでしょ」と注意されると一旦はやめるけど、次の休み時間にはしれっと誰かが練習を始めている。


馬鹿だとは思った。マットもない廊下でバク宙の練習なんて。でも、教室の中ひとり騒がしい廊下の話し声を拾っている私よりは幾分清々しい。


誰もいない放課後の廊下で、私もやってみようか。体操部じゃないしバク宙はさすがに無理だけど、側転くらいなら今の私にもできるだろう。小学生の頃は先生に上手だねと褒められたくらいだし。


墨汁で汚れた筆を念入りに洗う。締め切りが近づいてきて遅くまで残っていたから、吹奏楽部の楽器の音も聞こえない。他の部員も少し前に帰ったので廊下は静かなものだった。窓の向こう、別棟の職員室の明かりだけが眩しかった。もうすぐ下校の放送が入るだろう。


……今なら誰にも見られない。


制服のスカートの下には体操服のズボンも履いている。制服だと墨汁で汚れるかもしれないからと、部活の日はいつも体操服を持ってくるからそのまま履いているのだ。そう、だから“もし誰かに見られていたとしても”スカートがめくれることもとりあえず気にしなくていい。




……馬鹿みたいなのは私だ。ひとりで笑ってしまう。




制服を着る前に、体操服のままで側転すればよかったのに。




そう、もちろんそれが正しい。なんならわざわざ体操服を着直して今から遊んだっていい。今なら誰もいないし、下校の放送まであと5分はある。


でも私がしたかったのはそれじゃない気がした。私は、制服で側転がしたいんだ。――馬鹿みたいにバク宙の練習をするクラスの男子に混じって側転して、スカートがめくれて体操服が丸見えになって一瞬ぎょっとされる――その顔が見たいわけでもない。そうじゃなくて。





何にも気にせず回りたかった。スカートがめくれるとか、下着がずれるかもとか、そういうこと全部鬱陶しい。バンジージャンプと一緒だ。重力から解放されたいだけ。





真っ暗な校舎の一角、明かりのついた廊下でひとり。私は制服のままで側転したいんだ。












最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。