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自分の書いた記事を読み返している最中に、昨年入院した時の記事が、思いの外早目に表示されて戸惑っております。そうですか、一年も、365日も経ちましたか。何と。僕達は今年も入院しておりました。入院を年中行事にすな。里帰りみたいになってしまうやろ。
八年前の俺を思い出す。深夜。
何故そんな事になったのかは最早思い出せないが、唐突に自分のYouTube再生履歴を振り返っていた。大体2016年頃からのものだ。これが面白いくらいに統一性が無くて、大笑いをしていた。
ゲーム実況や文房具について、はたまた精神医学の解説動画の履歴もあったが、殊音楽というものは不思議なもので、履歴を巡っては少しばかりタイムスリップの様な心地になった。
ある曲を聴いた時の、あの梅雨の茹だる様な湿度を感
まだ書きたい事はあるのですが、すみません、今日はもう頭が纏まらない。またの機会に。
僕は恐らく、今後積極的に治療に関わる事は無いでしょう。治療の場に僕が勘定されていない以上、致し方無い事です。僕は僕で、僕の生活を送ります。治療対象があくまで本人なのであれば、そちらはそちらで。わざわざ出向いて喧嘩するくらいなら、関わらない選択をします。
俺は、死ぬ事も出来ない。
「統合して死ぬのが怖い」と、紙を介して主治医に伝えた。
返答は「そもそも人間はひとつの人格しか持てない、と考えている。だから、交代人格は死ぬ事はない。統合を死ぬ、くらい重く受け止めないで欲しい」という事だった。
当たり前である。前々から俺は自分の事を、「自分が自分だと認識出来なくなる病だ」と説明しているし、実際にそういう現実である事は自覚をしている。どれだけ俺が個人を主張しようとも、俺はアイツで
僕は「僕。」という名前と、「2nd」という名前を使い分けており、一人称も「僕」と「俺」で分けています。同一人物ですが、使い分けには少し拘りがあります。
うつ病の診断を受けたとお伝えしたか、失念してしまいました。病名の数をもう覚えていません。
記事の画像はiPadに入っている物を、適当に拝借しております。ほぼアイツらが描いた物ですね。いかんせん著作権の辺りが不安で。
気が付いたら沢山の方がフォローをして下さっている。光栄です。フォローバック等、正直どうしたら良いのか分からず、何も出来ていません。済みません。記事が40を超えたと通知が入って慄いております。
俺はお前の事を知らない。
昨年夏、入院していた頃だろうか。基本人格と主人格達が上手い具合に纏まり、“ひとり”であった期間があった。今はセクハラ被害をキッカケにバラけてしまったが。22はその一人。アイツは長い事、「この人間」として生きて来た。それが役割だった、という事もあるらしい。
俺が一番付き合いが長く、信頼を置いているのが22だ。アイツの話をすると長くなってしまうが、常に全速力で生き急いでいる奴だ。ブレーキという機能を
俺という存在の、余命。
診察。最近は健忘が酷くて困っているので、主治医に「健忘って治りますかね?」と聞いた。「それって解離が治るかって事やんな」などとぼんやり思っていたら、主治医が「それは解離が治るか、という話になると思うのですが」と。内心冷たいものを感じながら「本には20代後半に回復していく人が多いと書いてあったんですけど」などと余計な事を口走った。本当に余計な事をした。
「難しいですが、治りますよ」
と。
「じ
障害をアイデンティティにしない、と言う事。
こんにちは。随分と久し振りに筆を取りました。
世間では句読点を打つ事がハラスメントと呼ばれる様になったと小耳に挟み、名乗るだけでハラスメントになるのでは、と怯えている「僕。」です。皆様、如何お過ごしでしょうか。
ふと思い付いた事を、今日もつらつらと書き残していこうと思います。僕達が通院を始めた頃から慕っている闘病の先輩がいらっしゃるのですが、先輩が「障害をアイデンティティにしない方が良い」と書いて
只管に家の片付け。薬の整理、アクテムラ自己注射。食欲が無くて、代わりに良い珈琲豆を挽いた。カップ麺を適当に突っ込んで仮眠する。
漸くネタを消化出来ております。まだありますが、タブレットと共に暫し休憩。
僕が「僕」である、という病。
自分の記事を見返しながら、「もうこんなに書き溜めてたんか」などと考えておりました。僕。です。
かなり前にも似た様な話をした気はするのですが、何度も同じ話を繰り返してしまうのは、「歳を取った」という事なのでしょうか。今回の記事と、「何で俺は美形に生まれなかった?」と「関西弁が皆面白いと思うなよ!」と「ちゃうねん俺の関西弁はキャラ設定やないねん!」は定期発作です。
駄々を捏ねても仕方が無いので、そろそ