見出し画像

インスタントフィクション妄想解説#3「光の中に立っていてね」

noteで投稿されているインスタントフィクションを勝手に解釈させてもらっています。どうも墓穴掘男です。

今日は皆見さんの2021年5月14日に投稿された「光」を妄想解説させていただきます!

あくまで個人の会見であり、作者の意図を読み取ったものではないことはご了承くださいませ。
※下記から内容のネタバレが入っているのでぜひインスタントフィクションの記事から閲覧ください。

そもそもこのインスタントフィクションはかなりシンプルで、読みやすい分、いろんな考察が読み取れるような仕組みになっている。
わたしも正直読んでいけば、読んでいくほど最初に読み取った物語よりも複雑化していき、妄想しがいのある文章だなと改めて楽しめる作品だった。
なのでまずはシンプルにこの「光」の作品を3パターンに分けてお話をさせてもらう。

パターン1「恋人との思い出と別れ説」

「もしかして猫?」

彼女が嬉しそうに言う。

僕は遠くの白い仔猫に目をやり本当だ、と返す。

「どうして分かったの?」

「わたし、実は心が読めるの」

彼女は最近、頓珍漢なことを言う。
皆見さん「光」noteより

まずシンプルに読み解けば、「彼女」と「僕」は恋人関係にあるのかなと思われる。もしくは昔からの幼馴染で親しい間柄であるかだが、他愛のない彼女との会話に「僕」もまんざらでもないひとときを感じてしまう。ここで「白い仔猫」が出てきたり、「わたし、実は心が読めるの」にたいしての意味はまだまだ見当たらないので、とりあえずおいておこう。

僕が本を読んでいると、横に彼女が来た。

「今読んでるの、面白い?」

「うん、でもすこし内容が明るすぎる気がする」

「暗いよりはいいじゃない」

彼女は本を読まない。
皆見さん「光」noteより

ここも読み解くに「僕」の性格はあまり明るいタイプではないといってしまえば語弊があるが、自己肯定感がすくないタイプのようにみえる。それにたいして「彼女」は本は読まないけど、明るく前向きで「僕」とは違い、天真爛漫な女性とも読み取れる。

握りしめた手に汗が滲む。

言葉にしなくてはならない。

「終わりにしましょう」

僕は呆気に取られた。

体から、力が抜けるのを感じた。

彼女は最後に振り返って、笑顔を見せた。
皆見さん「光」noteより

そしてこの場面で一気に物語は収束する。「僕」は緊張しながらも、言葉にしなくてはならない言葉を言う前に、彼女から「終わりにしましょう」と言われてしまっている。この二人が恋人関係で彼女から「終わりにしましょう」と言われたのであればそれは「別れの言葉」なのだろう。それでも彼女は笑顔のまま「僕」と「最後」を迎えた。自己肯定の低かった「僕」に対して「彼女」はあまりにも「光」であり、輝きを放つ分、影はそれに合わせてあまりにも暗く「僕」を際立たせたのかもしれないね。だから「僕」は「言葉にしなくてはならない」と思いつつ今までの思い出(白い仔猫を見つけたときや、本を読んでいるときの彼女との思い出)を走馬灯のように思い出しながら葛藤していたのかもしれない。ここで本当に別れるべきなのかを。

というのが一回目読んだときに感じたことではあるが次の考察に移っていこう。


パターン2「彼女と飛び降り心中説」

このパターンは残酷だ。文章の最初のほうで出ていた「彼女は最近、頓珍漢なことを言う」の時点でもしかしたら、「彼女」には異変がおきていたのかもしれない。神経障害、あるいは精神障害によっての幻聴や不安定な感情になってたのかもしれない。そこから「僕」は彼女をすこしでも助けるための方法を探して本を読んでいた。もしくは病院で彼女を連れていき精神病などの診断を受けて、少しでも役に立てる方法をさがしていた。なぜ彼女が精神病に至ったのか?これは妄想だが、彼女は絶対に逆らえない父親がいて幼少期からの体罰や叱咤によりトラウマを植え付けられ、大人になった今も娘から幸せを奪おうとする毒親だったのではないかな。

例えばの話だが、「僕」と「彼女」は大学生で出会い、付き合い始めた。彼女は大学を自分の奨学金やバイトで稼いだお金で通っていたのだが、彼女は毒親のためにさらに借金をかかえることになってしまう。
必死に働いて返済をしてきたつもりだったが、だんだん心身をボロボロにされてしまった。そんな「彼女」を守ってやりたいが「僕」には「彼女」の深い闇を支えられるほどの勇気や強さまではなかったのかもしれない。それでも彼女を見捨てずに「彼女」の心を支え続けた。
そんなある日のことだった。
「僕」は彼女の一人暮らしのアパートに夜訪れた際、少し空いたドアの隙間から彼女の怒鳴り声が聞こえてきた。「僕」がその隙間から中を覗き込むと明らかに言い争いをしている「彼女」がいた。彼女は涙を流しながら激しく男に訴えている。
「全部おまえのせい」
「私の人生返して」
それに対して男は「彼女」を殴り、倒れる彼女に対して追い打ちをかけようとしている。
「僕」はそんな男に飛びかかり、冷たい床に倒れ込んだ。
男は怒り狂い、仰向けになった「僕」の上に乗りかかっては拳を顔面に叩きつけてくる。「僕」は意識が朦朧としながら血で滲んでいく男の拳がスローモーションに動いているように感じた。
ああこのまま死ぬのかな。そう思った矢先。
男は「僕」に覆いかぶさるように倒れ込んできた。
何が起きたかよくわからないが、男はピクリとも動かない。
なんとかして抜け出すと、「彼女」が息をハァーハァーと切らしながら男の後ろに倒れ込んでいた。男の背中には包丁が突き刺さっていた。

明かりをつけていない彼女のアパートの部屋を月明かりが照らしだして、彼女の顔をくっきりと映していた。彼女の顔には罪悪感と恐怖が滲んでいるように見えた。

そしてラストへとつながる。
親を殺してしまったことにより、未来を絶たれた「彼女」は飛び降りを企てる。それに対して「僕」も心中するつもりでいたのだが、やっぱり死への恐怖から「握りしめた手に汗が滲む」。
握りしめた手はもしかすると彼女とつないでいたのかもしれない。
「やっぱりこんなことは間違っている。」「いまからでも警察に行って自首しよう」「いまならまだやり直せる。僕がついているから死ぬなんて考えないで」いろんな言葉が「僕」には浮かんだのかもしれない。そしてその言葉を今か今かと言おうとしたとき。
「終わりにしましょう」
彼女は彼を置いて先に飛び降りてしまった。
だから呆気に取られてしまい、体から力が抜けてしまったんじゃないかな。
そして彼女は振り返って「僕」に「最後」、笑顔をみせた。
彼女の笑顔を見たのはいつぶりだったんだろうね。
最後の笑顔すらも月からの「光」だけが明るく照らしていたのかもしれません。

とまぁイメージとしては浅野いにおさんの漫画。
「おやすみプンプン」のような展開のバッド?エンドを妄想しました。
「おやすみプンプン」知らない方は絶対読んだほうがいい。
すっごい感情を乱されまくる名作漫画なので笑


パターン3「彼女の夢の中説」

みなさんは2010年に公開されたSF映画「インセプション」をご存知だろうか?
最近だと「TENET」の映画と同じクリストファー・ノーラン監督の作品で主演レオナルド・デカプリオや渡辺謙も出演している映画。
見たことない人は是非見てください。

この映画は他人の夢の中に入り込んで、相手のアイディアを盗み取ったり、相手の潜在意識の中に深く潜り込んでは相手にアイディアを埋め込む(インセプション)など、人の夢の中に出たり入ったりするSF映画になっているのだが、今回の作品「光」はそれに似たものを感じた。

そもそもこの話のすべてが「彼女」が見ている夢に「僕」が入り込んでいるのではないか?

この仮説だと回収されていない伏線を諸々回収することができる。

たとえば、白い仔猫が登場した際、この世界がもし「彼女」が見ている夢だったとしたら、白い仔猫は夢占いでいうところの「愛情に満ちている」という暗示があるそうだ。この愛情とは自分が愛情に満ちていることを指し、その愛情をまた家族や恋人に向けることで、自ずと他者からもまた寵愛を受けることができるとのこと。そして白い仔猫が「僕」といるときに現れたということは、その時点でこの「僕」が「彼女」にとって愛情を注ぐ存在であることがうかがえる。二人の関係性は単に恋人なのか?
また「わたし、実は心が読めるの」も彼女の夢の中であれば、彼女の思うままに夢を操作することができることを意味しているようにも思える。彼女はこの世界が夢であることを知っている?

そして「彼女は本を読まない」という文だが、この世界が夢であれば彼女は本を読まないのではなく、彼女は本を読めないことになる。
夢を司るのは右脳の働きであり、右脳は空間認識や音楽、情緒を担当し、左脳は言語・論理を担当している。そもそもこの世界が右脳によって見ている世界であれば、彼女は本の文字や本の内容を読解するという左脳の働き自体ができないのだ。だから彼女は本を読むことをしないのではないか?
だから彼女は「僕」が読んでいる本をあえて読もうとせずに聞いているのではないか?

そして最後の文章。「僕」が「彼女」に言葉にしなくてはならないこととは、もうすぐ「彼女」に死が迫っていることではないだろうか。

これも仮説ですがいままでの文章を踏まえると「僕」と「彼女」の関係はもうとっくに人生の半生を共にすごした老夫婦だったんじゃないだろうか。だからこそ「白い仔猫」が出てくるほど「彼女」は「僕」に深い愛情を無意識的にももっていたのではないでしょうか。だけど「彼女」は老衰によってその生命の灯火が消えかかっていた。もしかしたら病院のベッドに寝たきりになり、管に繋がった状態なのかもしれない。それでも年老いた「僕」は朦朧としている彼女の潜在意識の中に入り込んでは、「彼女」との懐かしき日々を思い出し夢の中で「彼女」と楽しく過ごしてしまっていた。だが、それもつかの間。「僕」は「彼女」にほんとうの意味でのお別れを伝えなければならない。

「いままでありがとう」とか「向こうで待っててください。すぐに追いつきます」

とかじゃなくて!!


「不甲斐ない僕に嫁いでしまって本当にごめん」
「自慢の夫じゃなかったかもしれないけど」
「君といるときの僕は僕のことを好きでいれたんだ」
「だから僕を置いていかないでおくれ」
「君とまだやりたいことがたくさんあるんだ」
「だから、たのむから、死なないでくれ」

とかだったんじゃないかな。

でもそんな想いも全て「彼女」はわかっていた。わかっていて逆らえない現実を受け入れて「(この夢の世界を)終わりにしましょう」と「僕」に切り出した。

彼女の最後の笑顔にはこんな想いが乗せられていたのではないだろうか。

「最後に会いにきてくれてありがとう。」

そんな妄想が膨らむ素晴らしい作品「光」。
解説させていただきました。

たくさんのパターンを妄想できるってことは読んだ人の十人十色がでやすいインスタントフィクションである証拠。

ぜひまたインスタントフィクション読ませてください。


それでは、さよならまた今度ね。

この記事が参加している募集

#note感想文

10,645件

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?