感想:ドキュメンタリー『ファッションが教えてくれること』 「典型」ができるまで

【製作:アメリカ合衆国 2009年公開】

世界有数の影響力を持つファッション誌『VOGUE』。中でも「ファッションの新年」と称される9月号には毎年注目が集まり、ページ数も非常に多くなる。
アメリカ合衆国版編集長アナ・ウィンターを中心に、最終的に840ページとなった2007年9月号の製作過程を追うドキュメンタリー。

本作では、『VOGUE』の中にある商業性と芸術性の緊張関係が描かれる。
「流行」を意味するタイトル、米国の女性の10人にひとりは同誌を読むという圧倒的な発行部数が示す通り、『VOGUE』はトレンドをつくり、商品を売ることを目的としたメディアである。
編集長のアナはこうした同誌の「本分」に則る立ち位置にいる。人々がセレブリティに憧れてモデルロールとする時代を予見して、いちはやく本業のモデルではない有名女優達を表紙に起用したキャリアを持ち、誌面に載せる写真を選定する際は「読者が着られるか/着ようと思うか」を判断基準とする。
プラダを着た悪魔』のミランダのモデルとされる彼女は絶大なカリスマ性を持ち、冒頭ではファッション業界の誰もがアナを畏怖することが示される。

一方で、雑誌の各企画はそれぞれの編集者によって考案・進行される「作品」でもあり、必ずしも商業性やアナの意向に根ざしてはいない。
本作でアナに次いで大きく扱われるのは、編集者のグレイス・コディントンである。
グレイスは芸術志向が強く、服と同等かそれ以上に企画の世界観を重視する。彼女が手がける写真は背景や構図、ディテールにこだわり、商品の販促メディアというよりも、それ自体に審美的価値が見出される芸術作品としての性質が強い。
グレイスの服の素材を強調した特集や、1920年代の文化に影響を受けた企画は、読者の購入への意欲をかきたてるような演出に乏しい。
加えて、毛皮や多彩な色、はっきりとした見せ方を好むアナに対し、グレイスはモノトーン等のシックなデザインやソフトフォーカスを多用する。以上の点から、ふたりは編集にあたり意見がしばしば対立し、グレイスが提出した誌面案をアナはことごとくカットしていく。
この作品ではグレイスが編集者の代表としてアナと対置される形で構成されているが、ふたりは米国版『VOGUE』編集部における同期で、20年来の同僚でもある。価値観や手法は異なるものの、互いの力を認め合う関係であることが示される。
このライバル関係とフレンドシップも本作の見所であり、最後にアナがグレイスへの尊敬を口にする場面にはカタルシスがある。

アナとグレイスのバックボーンも興味深い。
アナは父親が高名な新聞記者であり、他のきょうだいは全員が記者や活動家といった、社会問題と正面から向き合う仕事に従事している。アナは彼らを敬愛しつつも、自らの仕事であるファッションがそれらと比べて「二の次」であることにコンプレックスを抱えている。本作の冒頭の彼女のインタビューが「ファッションを嫌う人、批判する人」に触れたものであることも象徴的だ。
商業製品としてのファッションにおいて雑誌に掲載されることは生命線であり、イヴ・サンローラン、ジャン=ポール・ゴルチエなど、数々のハイファッションブランドのデザイナーがアナに作品をプレゼンする。そんな業界の頂点にいてもなお、彼女はファッションを認めない人の存在を強く意識する。
アナにとって、「売れるもの」の追求は、軽視されがちなファッションの地位を向上し、その価値を知らしめるための行為なのかもしれない。

一方、グレイスはもともとは英国版『VOGUE』のモデルを務めていたが、顔の怪我によって引退し、編集者に転身した過去を持つ。
彼女は現代の編集者としては珍しく、モデルの着付けを自ら行う人物である。本作は編集を行う立場からのドキュメンタリーであるため、モデルの存在は後景化される傾向にあるが、グレイスについてはかつて自身がモデルであった経験を踏まえた言動が示される。
服を欲望を喚起する装置としてのみならず、自己や世界観を表現するための手段としてまなざす彼女の手法はそのキャリアと無関係ではないと思う。
終盤でグレイスは本ドキュメンタリーのカメラクルーがモデルを撮影する様子を撮影するというメタ的な写真を誌面に加える。これは服の演出と消費を構造化した作品としてとても面白かった。

『VOGUE』のブランドや、アナの権威があってもなお、雑誌というメディアは共同作業の集積である。一冊の中でも対立するポリシーが併存していることこそが雑誌の特徴であり面白さではないかと思う。
また、編集者がひとつの文脈を設けてつくり、提出した企画をアナが断片化し、ところどころカットしながら組み替えていく様子が印象的で、提出に至るまでのブラッシュアップ(元の写真からの加工や、カメラマンやモデルの意図の捨象など)も含め、雑誌編集の恣意性を示した作品だった。
編集長のアナもフラットな目線があるというよりは自分の価値基準が非常にはっきりしている人物で、毛皮のアイテムをしきりに登場させようとするといった「贔屓」も行う。他の編集者やファッションデザイナー、カメラマンも含め、首尾一貫した自分の好みや意思を研ぎ澄ませられる人が結果的にトレンド=典型を作り出せるのかもしれないと感じた。

9月号の誌面の準備は締切の5ヶ月前から始められるが、締切の5日前に企画がひとつボツとなり、撮り直しを命じられる。直前まで刻一刻と変わる状況に加え、他の月の号の準備とも並行して編集が行われており、制作者側の時系列の整理が複雑な印象を受けた。
本作のエンドロールは完成した『VOGUE』2007年9月号が工場で製本されるシーンを背景とする。前述のせめぎ合いや矛盾を含めた一部始終を経て初めて、無数にコピーされ、多くの女性の規範となる雑誌が完成することを示した作品だった。受容する側の目線は省いてつくられているが、「典型」の受容の仕方を捉え直す契機となる要素も多く含んでいたと思う。

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