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モルモン書:ニーファイ第一書

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『モルモン書ーイエス・キリストについてのもう一つの証』の第一ニーファイ書の説明と個人の証。
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2024年3月の記事一覧

29_「わたしたちは…荒れ野を旅し…多くの苦難を乗り越えていった…」(1ニーファイ17:1 )

29_「わたしたちは…荒れ野を旅し…多くの苦難を乗り越えていった…」(1ニーファイ17:1 )

リーハイとその家族はエルサレムを出て約束の地に導かれるまで荒れ野を何年も旅をしました。その旅をした距離は数百キロにすぎませんが、ニーファイが言っているように「荒れ野の中を旅し…多くの苦難を乗り越えていった」のです。アラビヤ半島は高温で乾燥した荒地です。食物や水を見つけだすことも大変なことです。一行はおそらく、歩いたり、動物の背に乗ったりして旅をしたことでしょう。

一致した気持ちで生活することは容

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30_「心に浮かぶつまらない空想に惑わされた…父は我々をエルサレムの地から連れ出し、我々は長年の間荒れ野をさまよってきた…そして…ただ死ななかっただけであらゆる苦しみに遭った…このような苦しみに遭うくらいなら。エルサレムを出る前に死んだほうがましだった…」(1ニーファイ17:20 )

30_「心に浮かぶつまらない空想に惑わされた…父は我々をエルサレムの地から連れ出し、我々は長年の間荒れ野をさまよってきた…そして…ただ死ななかっただけであらゆる苦しみに遭った…このような苦しみに遭うくらいなら。エルサレムを出る前に死んだほうがましだった…」(1ニーファイ17:20 )

この聖句は、荒れ野での8年間の旅を終えてバウンティフルという地に着いた後、荒れ野での経験に対して述べたレーマンとレムエルの言葉です。レーマン、レムエルとニーファイの「こころ」の感じ方の違いについて考えてみました。

アメリカの臨床心理学者であり、論理療法(Rational Therapy)の創始者として知られたアルバート・エリスの「ABC理論」は「こころ」をコントロールするときに大きな助けとなり

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31_「わたしニーファイは、人が学んだ方法で材木を細工することもなく、船も人の方法で造らなかった。わたしは、主がわたしに見せてくださった方法で船を造った。それで、それは人の方法とは違っていた。わたしニーファイは度々山の中へ行き、度々主に祈った。それで、主はわたしに大いなることを示してくださった。」(1ニーファ18:2-3)

31_「わたしニーファイは、人が学んだ方法で材木を細工することもなく、船も人の方法で造らなかった。わたしは、主がわたしに見せてくださった方法で船を造った。それで、それは人の方法とは違っていた。わたしニーファイは度々山の中へ行き、度々主に祈った。それで、主はわたしに大いなることを示してくださった。」(1ニーファ18:2-3)

リーハイの一行は、8年間の荒れ野の旅の後,果物と野蜜が豊にあるバウンティフルという海辺の地にたどり着きました。そこでニーファイは、「立って山に行きなさい」と主から指示を受けて、山で祈ります。その時に主から、家族が示された約束の地に行けるように「一隻の船を造りなさい」と命じられます。
この時、ニーファイはどのように感じたのだろうかといつも思います。

デビッド・A・ベドナー長老は次のように語ってお

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【ミニ情報:真鍮の版に登場する預言者】

【ミニ情報:真鍮の版に登場する預言者】

ニーファイは、第19章で「ニーファイの小版」が作られた目的と経緯について簡単に説明しています。そして、「神聖であると思うことでなければ、何事も版に書き記さない」(19:6)と述べています。しかし、ニーファイは、スペースの限られた小版の記録として、真鍮の版にある預言者の言葉、特に、ゼノクやゼノス、イザヤなどの言葉をたびたび引用しています。このことから、ニーファイが、それらの預言者の言葉をどれほど大切

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32_「…すべての聖文を自分たちに当てはめて、それが自分たちの利益となり、知識となるようにするためであった。」(1ニーファイ19:23)

32_「…すべての聖文を自分たちに当てはめて、それが自分たちの利益となり、知識となるようにするためであった。」(1ニーファイ19:23)

聖文はずっと昔に書かれたものなので、今日のわたしたちには関係がないように思えるかもしれません。しかし、ニーファイはそうではないことを知っていました。ニーファイが真鍮の版からイザヤの言葉を多く引用したことの理由の一つと言えます。ニーファイはイザヤの言葉から大きな霊的な力を見いだし、自らの信仰を強めていきました。

また、イエス様はこのように教えておられます。「わたしにむかって『主よ,主よ』と言う者

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33_「見よ、わたしはあなたを精錬し、苦難の炉の中であなたを選んだからである。」(1ニーファイ20:10)

33_「見よ、わたしはあなたを精錬し、苦難の炉の中であなたを選んだからである。」(1ニーファイ20:10)

ニーファイは、真鍮の版から預言者の言葉を引用する一つの理由として、「主なる贖い主を覚える」(1ニーファイ19:18)ためであると述べています。そして、この聖句(20:10)を引用して、主をいつも覚えて頼るならば、苦難や試練に遭遇しても、主によって祝福を受け強められると述べています。

D・トッド・クリストファーソン長老は次のように語っておられます。

ダリン・H・オークス長老も、苦難が同様にわた

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34_「バビロンから出よ。カルデヤから逃れよ。あなたがたは歌声をもって宣べ、これを伝え、地の果てに至るまで告げ知らせよ。すなわち、『主はその僕ヤコブを贖われた』と言え。」(1ニーファイ20:20)

34_「バビロンから出よ。カルデヤから逃れよ。あなたがたは歌声をもって宣べ、これを伝え、地の果てに至るまで告げ知らせよ。すなわち、『主はその僕ヤコブを贖われた』と言え。」(1ニーファイ20:20)

イザヤは、主の聖約から離れてしまったイスラエルの民に主のもとに戻ってきて、主の用意された祝福にあずかるように勧めています。当時のイスラエルの民はイザヤが書いていますように「強情で、…首が鉄の筋であり、…額が真鍮である」(20:4)ような、主に対してかたくなで不従順な状態でした。その点、ニーファイの家族の一部の人々とはよく似ていました。もしかしたら、わたしたちにも共通するところがあるかもしれません。

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35_「おお、天よ、歌え。おお、地よ、喜べ。…おお、もろもろの山よ、声を放って歌え。…主は御自分の民を慰め、また苦しむ者に憐れみをかけられるからである。…『女が乳飲み子を忘れ、自分の産んだ子を哀れまないことがあろうか。…おお、イスラエルの家よ、わたしはあなたを忘れない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに彫り刻んだ…』」(1ニーファイ21:13, 15-16)

35_「おお、天よ、歌え。おお、地よ、喜べ。…おお、もろもろの山よ、声を放って歌え。…主は御自分の民を慰め、また苦しむ者に憐れみをかけられるからである。…『女が乳飲み子を忘れ、自分の産んだ子を哀れまないことがあろうか。…おお、イスラエルの家よ、わたしはあなたを忘れない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに彫り刻んだ…』」(1ニーファイ21:13, 15-16)

この聖句は、イエス様がわたしを愛してくださっていることをいつも思い出させてくれます。わたしのためにご自身を犠牲として捧げてくださり、贖いの道を開いてくださいました。また、わたしに正しい道とは何かを教えてくださいますし、復活して、天のお父様のようになることができるようにもしてくださいました。そして、毎日、その「贖いの力」を感じながら生活することができます。また、時々、わたしの方がイエス様を忘れてしま

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36_「…それで主なる神は、イスラエルの家に属する者たちに聖約と福音をもたらし、やがて、すべての国民の目の前にその御腕を現されるのです。」(1ニーファイ22:11)

36_「…それで主なる神は、イスラエルの家に属する者たちに聖約と福音をもたらし、やがて、すべての国民の目の前にその御腕を現されるのです。」(1ニーファイ22:11)

ここでニーファイは、イスラエルの散乱と集合についてのイザヤの預言を説明しています。

ニーファイは、イスラエルは救い主に対して心をかたくなにしたために、すべての国民の中に散らされると教えました。実際、その時にはすでにアッシリヤによって、また、のちにバビロニアによって多くの人々が捕らえられ全地に散らされました。ニーファイの家族も、ある意味、散らされた民の一部でした。しかし、ニーファイは、イザヤの言

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