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29_「わたしたちは…荒れ野を旅し…多くの苦難を乗り越えていった…」(1ニーファイ17:1 )

リーハイとその家族はエルサレムを出て約束の地に導かれるまで荒れ野を何年も旅をしました。その旅をした距離は数百キロにすぎませんが、ニーファイが言っているように「荒れ野の中を旅し…多くの苦難を乗り越えていった」のです。アラビヤ半島は高温で乾燥した荒地です。食物や水を見つけだすことも大変なことです。一行はおそらく、歩いたり、動物の背に乗ったりして旅をしたことでしょう。

一致した気持ちで生活することは容易ではありませんでした。そして、不従順のために思うように先に進むことすらできない時も度々ありました。また、旅の途中で子供の誕生を迎えたり、愛する家族の死に遭遇したりということもありました。狩猟の道具が壊れ、飢えに悩まされた時期もありました。彼らの荒れ野の旅は8年の年月を費やしたと記されていますが、それはまさに人生の縮図でした。

このような旅路を終えて、彼らはバウンティフルという地に着き、8年の歳月を振り返りその経験についての感想を記録していますが、それは、わたしたちの人生に対する取り組み方について大きな教訓を与えてくれます。
レーマンやレムエルは「我々は長年の間荒れ野をさまよってきた。…ただ死ななかっただけであらゆる苦しみに遭った。…このような苦難に遭うくらいなら、エルサレムを出る前に死んだ方がましだった。」と述べています。それに対して、ニーファイは「主の祝福が大変豊かであったので、妻たちは荒れ野で生肉を食べて暮らしていたのに、子供たちに乳を十分飲ませ、しかもまことに男のように強かった。彼女たちはつぶやかずに旅に耐えるようになった。…神は彼らを養い、強くし、…成し遂げる手段を与えられる。」と記録しています。

一方では、「苦しい、大変な旅だった、死んだ方がましだった」といい、一方では、「大変だったが祝福に満ちた年月だった」と言っています。
彼らはそれぞれ別の道を旅行したのでしょうか。いいえ、彼らは同じ道を、同じ経験をしながら旅行したのです。ニーファイは人生の良い面だけを努めて見ようとしました。しかし、レーマンやレムエルは人生の悪い面にいつも目を向けたのです。

わたしたちも人生を喜びに満ちたものにするためには、人生の良い面に目を向ける必要があります。神様は、この人生を私たちにとって良いものとして、益のあるものとして創造してくださいました。(D&C90:24; 100:15; 122:7参照)ですから、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、そんな経験の中にもわたしたちにとってプラスとなる神様の御心を見いだすことができるのです。積極的な肯定的な物の見方、考え方はわたしたちの苦難に満ちた人生を喜びに満ちた素晴らしい人生に変えることができるのです。


「積極的な肯定的な物の見方、考え方」というといつもゴードン・B・ヒンクレー大管長を思い出します。ヒンクレー大管長について語る2つの言葉をご紹介いたします。

ラッセル・M・ネルソン大管長は、かつて、ヒンクレー大管長とマージョリー夫人について次のように語っておられます。

「二人は過ぎてしまったことを考え込んだり,将来を心配したりして時間を無駄にするようなことはしません。逆境にあっても足を止めません。」

(ラッセル・M・ネルソン「霊的な包容力」『聖徒の道』1998年1月号,p.17)

ジェフリー・R・ホランド長老も次のように話されました。

「『万事うまくいきます。』これはヒンクレー大管長が家族や友人,同僚たちに確信をもって繰り返し語る言葉です。そして,こう言うのです。『努力を続けましょう。信じましょう。幸せでいましょう。失望しないでください。万事うまくいきます。』」

(ジェフリー・R・ホランド
「ゴードン・B・ヒンクレー大管長—信念と勇気の人」
『聖徒の道』1995年6月号,p.6)

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