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ダメダメ美容師から這い上がって整体院を開業して6年目に!!

はじめての投稿になります。わたしは、生まれは神奈川の厚木で、その後すぐに親の仕事の関係で、アメリカのロサンゼルスに5年間住んでいました。

小学校に入学する前に、親父の生まれ故郷の静岡に帰ってきました。

アメリカでは、ほとんど日本語で会話して過ごしていたので

日本に帰ってきて半年幼稚園に通ってましたが、まわりから『英語しゃべって』とよく言われてましたが

全く話せなく『なんだー全然しゃべれないんだ』と言われ苦い思い出がありました・・・(泣)


小学校に入学して両親から、わたしは肉体的にも精神的にも軟弱でしたから

『強くなれ』

という事で、空手(松涛館流)に通うことになりました。

空手では、板割り・型・組み手・礼儀作法・言葉遣い・気を集める練習など

今考えたら整体師になる為の基礎を学べました。

わたしの親父は少林寺拳法をやっていたので、悪い事をしたらしょっちゅう関節技をかけられていました。

あれは痛いのなんの・・・

あるとき、すごく頭が痛くて頭痛がしばらく続いていました。痛そうにしてたら親父にちょっと頭貸してと言われ

こめかみのところを親父のとてもごつく温かい手でツボ押しもらいました。

数秒後あら不思議痛みが全くなくなっていたのです。ふと最近この体験のことを数十年ぶりに思い

出したのです。まさに医療の原点である『手当て』をしてもらった体験でした。

あの時の親父の手は、魔法ではなく 子供を心から良くしたいという

母心があるように父心があったからあの時の頭痛は治ったじゃないかと考えています。

わたしも、あの時の「あたたかいこころ」を忘れないよう日々施術させていただいています。


それから中学・高校でバンドを結成してギターにのめり込み毎日5・6時間練習し、

本気でプロを目指してましたが、音感のなさを実感し断念することに。

進路を決めるとき、特にこれをやりたいっていうのがなく、

たまたま当時付き合っていた彼女が美容師を目指すと言っていたので、

『じゃ自分もそうするか』と安易な動機で

東京の山野美容専門学校に通う事に決心しました。(笑)

無事入学したのですが、学校の授業についていくのが精一杯で、

圧倒的に周りよりも不器用だと気づいてしまったのです。

よく考えたら何するのも周りよりも遅く覚えが悪いタイプでした。

それでも、なんとか美容師免許を取得し、世田谷の経堂の美容室で就職。

しかし3ヶ月でお店が廃業。

そのあと派遣の仕事でつなぎながら、原宿の美容室を10社応募し、なんとか1社合格。

それからがむしゃらに働きました。

ある日、常連さんから「シャンプーすごい上手になったね」と褒めていただきました。

オーナーからも開業して以来、一番シャンプーがうまいと太鼓判を押してくれました。

シャンプー後の肩のマッサージも評判がよくなりヘッドマッサージも導入することになりました。

そこまではよかったのですが、普段のサロンワーク、カラー、パーマは全然だめだめ・・・

「全然うまく行かない。なんでだろう?環境が悪いんだ。先輩が悪いんだ。もっと良い美容室にいけばうまくいく」

全てまわりのせいにしてしまったのです。美容室を辞め、渋谷にある美容室に就職し再チャレンジすることに。

気持ちを入れ替えがむしゃらに働きました。でも同じ壁にぶち当たるのです。

悪いのはまわりじゃなく自分だと気がつきました。

どうしたらいいかわからなく限界を感じている頃、

ある日オーナーから

「おまえは、美容師はむいてない。他の職業を探したらどうか?』

と言われました。

わたしの心にグサリときたあの日のことは今でも忘れないです。

凄くショックでしたが今では感謝しています。

自分で辞めるというのは、逃げになると思っていたので

オーナーの言葉が美容師に終止符を打つ事が出来たのです。

それから数日考え、シャンプー・マッサージは大好きで評判が良かったから

迷わず整体の専門学校の1日体験に行きました。

当日、整体の授業体験で

びびびときたのです!!これだ!!!!

身体の内から電気が走ったのです。

すぐにオーナに話をして整体をしたいと伝えたら

『うん。Junは整体師むいてるよ。頑張れ!!』と言われ

美容師に終止符を打ちました。

それから恵比寿のマッサージ院で3年働いて

『一生の仕事にしたい』

と考え医療の専門学校に入り国家資格である

柔道整復師(接骨院の先生の資格)を取得しました。

整形外科・接骨院・整体院で経験を積み

あんなにダメダメだったわたしが、自分の整体院を開院することが出来たのです。

天職を見つけられたと日々感謝しております。

おかげさまで皆様に支えられ開院5年が経ちました。

​ありがとうございます。感謝致します。


あのとき、美容師を目指していなかったら今のわたしはいません。

何事も無駄な事はなく全て意味があるのだと感じます。

最後に、わたしには妻と可愛い娘がいるのですが、妻とは原宿の美容室の面接で知り合ったのです。

その頃はお互い相手がいたのですぐ付き合うという事はなかったですが

1年後にお互いフリーになり付き合う事になったのです。それから結婚して娘が生まれました。

わたしの人生にとって「美容師」はなくてはならない存在だったのです。

そう考えてみると人生っておもしろいですよね。整体師Jun 

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