死んだらどうなる?おれ様的人生哲学@2021/6/21
どうも~!世界平和教団「オレオレの会」会長のおれです。
徐々に夏になって来たので、昔だったら、そろそろ丹波哲郎がお茶の間に出て来てもおかしくない時期ですね、ということで、今日のテーマは「死んだらどうなる?」で行きたいと思います。
関係ない人の死
最初にズバリ言っておきますけど、今のこの記事を読んでくれてる方が(今読んでなくても、10年後でも100年後でもいいです)、この記事を読んでる人が死んだとします。テレビの前のあなたのことですよ!どうなると思いますか?私の人生。。
正解は~~~~~~ッ!ハイッ!なんにも変わりません。そうなんです。あなたが死んでも私には何にも影響がないんです。そもそも、死んだことにすら気が付かない。
では、逆を考えてみましょう。私が死んだら、テレビの前の皆さんの人生に何か影響がありますか?
無いですよね?せいぜい「あれ、この人、ブログ書かなくなったな~」で終わりです。
親しい人の死
じゃ、別のパターンを考えてみます。あなたの家族で誰か死んだら影響ありますか?天涯孤独な方は職場の同僚とかでもいいです。
まぁ、それなりにあると思います。まず、その人が使っていた部屋とか机とかが空きます。LINEの連絡先一覧にはありますが、そこにメッセージを送っても絶対何にも返って来なくなります。実質無いも同然なアカウントになるってことです。
言い換えると、あなたの世界の中で、ある一定の領域を占有していたものが無くなるんです。つまり、世界が一部が欠けたような感じになります。
ここまではいいでしょうか。
では、次に行ってみましょう。
自分の死
じゃ、あなたが死んだらどうなりますか?今度は、さっきとは違って、私(この記事を書いてるカスタマーさん、自称「おれ様」)にとってではなく、あなたにとって、どうですか?
たぶん、あなたが死んだら、目の前が真っ暗になって、何にも見えないし、聞こえなくなると思います。そもそも、目の前が真っ暗だとも思わないし、「何も見えない!困った!」なんてことも思いません。だって、考えるアタマが無いんですから。。
あなたが死んだ後で第3次世界大戦が始まって、膨大な数の人が死んだとしても、関係ありません。何が起きてるのかなんて、何にも分かりませんから。。
そう考えると、あなたが死んだら、あなたにとっては、ほぼイコール「世界の消滅」ってことじゃないですか?何にも見えないし、何にも聞こえないんだから、無いのも同然じゃないですか?
ここから始まる「おれ様哲学」
つまり、世界の中に自分が居るんじゃなくて、自分が世界だった、ってことです。
ちょっと急展開過ぎましたかね。つまり、あなたが世界を映し出す映写機のようなものだということです。映写機が壊れたら、スクリーンは真っ暗で、何も見えません。映画終了=世界の終わりです。
自分以外の誰かが死んでも、せいぜい、世界がちょっと欠けるだけで、自分を中心にして開けている、世界の根本的な構造は変わらないんです。
まだまだ死ぬまでに時間がたっぷりある若い人にとっては「それだったら、自分が一番大事じゃない!?」って気付けてホッとする所かもしれません。「いや~、やっぱ、そうだよなぁ。そうだと思った。おかしいなぁって思ってた!やっぱり、何にもしてなくても、何にもできなくても、おれって超大事!!おれって超マジVIPじゃん~~!」ってなって、急に活力が湧いてきたりするかも?
一方で、もうちょっとで死ぬっていう人がこのことに気付くと、「そうか。今まで色々積み上げてきたけど、結局、世界もろとも全部消えちゃうのか。あ~あ。」ってなると思います。
何のために生きてる?
ここまでを踏まえると「あれ?おれって何のために生きてる?」ってなるかもしれません。まぁ、それについての答えは、色々な人が色々なことを言っているとは思います。
おれ様的にはどうなのか?と言うと、「死ぬまでのトータルの刺激量を最大化する」という行動基準で動いています。なるべく面白くなりそうな道、選択肢が多そうな道を選ぶっていう感じです。ただし、より面白いことを目指して、今は単調な道を進む、っていうこともありえます。だから、一見するとつまんなそうに見えることもあるかもしれません。でも、つまらなくありたい!と考えてるわけじゃないんです。
おわりに
読むだけだと、さらっと終わってしまったかもしれませんがけど、いかがだったでしょうか?もっと色々書けそうだけど、フリマアプリの出荷が連続して疲れたので、今日はこのへんで。。断捨離って気持ちイイヨ~!では、また~♪
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