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月の砂漠のかぐや姫 第213話

 それは、交易路から落下した時のことでした。あの時に王柔は理亜を守ろうとして、空中で彼女の身体を抱きかかえていました。でも、理亜の身体に王柔が触れることはできないのではなかったでしょうか。川に向かって落ちていくという非常事態の中で王柔も羽磋も必死でしたから、抱きかかえているように思い込んでいただけで、実は王柔と理亜の身体は触れあってはおらず、影が重なっているような状態だったのでしょうか。
 いえ、羽磋には、そうは思えませんでした。なぜなら、彼らが川に落下した後のことも思い出されたからでした。渦を巻きながら勢いよく流れる川の水の中に落下した羽磋は、ナツメヤシの実の様にぽっかりと水に浮かんでいる駱駝のコブを見つけて、理亜がおぼれてしまわないようにようにその上に押し上げてくれと、王柔に頼んだのでした。そして羽磋は、駱駝の引き綱を使って理亜と自分たちを駱駝から離れないように繋ぎとめたのでした。そのお陰で彼らはバラバラにならずに済んだのですが、王柔の手が理亜の身体に触れることができずに素通りしてしまうのであれば、どうして彼は理亜を駱駝のコブの上に押し上げることができたのでしょうか。やはり、あの時には、理亜の身体に王柔が触れることができていたとしか考えられません。
 ほのかな青い光で満たされた大空間の水際で、理亜と王柔が眠る周りをぐるぐると歩き回る羽磋の足並みが、再び早くなってきました。理亜の手を踏みつけそうになったので、周囲のことにも気を配りながらゆっくりと歩くように気を付けていた羽磋でしたが、またもや自分の考えの中に入り込んでしまっているのでした。
 では、理亜の身体に起きていた不思議なことはここに来て治まったのかというと、そうではないと羽磋は思いました。
 羽磋たちが駱駝をこの場所に置いて大空間の奥の方へ歩いて行ったときに、急に立ち止まった羽磋にぶつかりそうになった理亜が、羽磋の身体をすり抜けてしまったことがありました。確かにあの時の理亜には、人の身体に触れることができない、透り抜けてしまう、という不思議が生じていました。
 理亜の身体は一体どうなっているのか、いくら考えても羽磋にはわかりませんでした。
 今は疲れ切って眠っている王柔は、目の前に起きる様々なことに対処するのに精いっぱいで、このことには気が付いていないようです。なぜなら、心配性の王柔のことですから、もしもこのことに気が付いていたのなら、「どうしてでしょう、羽磋殿」とすぐに羽磋に相談をしていたはずですから。
「これまでは理亜の身体の様子がころころと変わるなんて聞いていなかったから、きっとこれはこの旅に出てからのことなんだろうな」
 羽磋は、王柔と昼間に話していたことを思い出しました。それは、このような話でした。
「理亜と王柔は一度ヤルダンの中で別れてしまったが、理亜は馬に乗っても何日かかかる程離れている土光村まで、一人で歩いて辿り着いた。そして、理亜の身体に不思議なことが起き始めたのも、その時からだった。これらのことから考えると、やはりヤルダンと理亜の身体に起きている不思議の間には、何らかの関係があるのではないか」
 これは理亜がヤルダンから歩いて土光村に来た時の状況でしたが、今は逆に土光村からヤルダンに近づいて行っています。そして、その過程で不思議なことがどんどんと起きてきているのです。
「やっぱり、王柔殿と話をしていたことに似ているな。理屈はさっぱりわからないけど、理亜の身体に触れたり触れなかったりするのも、こうして夜になっても姿が消えないでいるのも、きっとヤルダンに関係して起きていることなんだろう。多分、精霊の力が働いているんだろうけど・・・・・・」
 羽磋は独り言をつぶやきながら、王柔と理亜の寝顔を見下ろしました。
「ここに輝夜がいてくれたら、何かわかるだろうか」
 羽磋にはよくわかりませんが、月の巫女である輝夜姫であれば、精霊の力が理亜にどのように働いているかについて、何かわかるかもしれません。羽磋は、輝夜姫が月の巫女の力を使って消えてしまうことは恐れていましたが、月の巫女としての知識を用いて儀式を行ったり精霊と交信したりすることは、受け入れていました。それは、小さい時から彼女は月の巫女として儀式を執り行ってきましたが、あの一夜の後の様に記憶を失ってしまうことは一度もなかったからでした。
 とは言え、輝夜姫はここにいないわけですから、これ以上「いてくれたら」と考えても仕方がありません。
 羽磋は、理亜の身体に起きている現象について、好意的に考えることにしました。つまり、人に触れることができたりできなかったり、夜になって消えたり消えなかったりするようになったのは、ヤルダンに近づいてからだ。ということは、やはり、前もって考えていた通り、彼女に起きている不思議の原因はヤルダンの中にあるんだ。そこへ向かっている自分たちは、彼女に起きている問題の解決に確実に近づいているんだ、と。
「王柔殿も、そう考えて納得してくれたらいいけどなぁ」
 羽磋は、心配性の王柔にこのことを伝えるときのことを考えると、少しだけ肩をすくめずにはいられませんでした。




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