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月の砂漠のかぐや姫 第120話

 まるで生きたサバクオオカミそのもののように躍動している奇岩たちですが、それらには感情というものはないのでしょうか。自分たちに向って放たれた矢に対して、わずかに顔を向けたものの、全く慌てた様子は見せません。それどころか、それを避けようという素振りさえも、見せないのです。
 バシィッ!
 ある矢は、奇岩の前足を弾き飛ばしました。恐ろしい勢いで突進していたそのサバクオオカミは体勢を崩すと、ドゥッっと大きな音を立てて、横倒しになりました。
 これが生きたサバクオオカミの群であれば、そのすぐ後に続いていた個体は驚いて飛び退ったりするものですが、サバクオオカミの奇岩は違いました。目とおぼしき窪みを護衛隊の方へ向けたまま、倒れた仲間を踏みつぶしながら、前進を続けるのです。
 そして、倒れたサバクオオカミの像はといえば、自分を踏みつける仲間の足の下でも、砕けて砂に還るまで身体を動かし続けるのでした。
 ドス、ドスッ!
 続けざまに矢が胴体に突き刺さった奇岩がありました。
 でも、その奇岩は痛がる様子など全く見せずに、前へ進み続けます。その像がようやく動きを止めたのは、その次の矢で頭を砕かれた時だったのでした。
 サバクオオカミの群は、砕けた仲間を砂煙として巻き上げながら、自分たちに向って矢を放ってきた左右の護衛隊の方へと、二手に分かれて向って来ました。
 その一体一体は、みな異なった形をしています。まぁるい顔をしたものもあれば、尖った顔をしたものもあります。一つとして同じ形のものはありません。遠くから見ればサバクオオカミのように思えたそれを近くで見れば、子供が土を捏ねて作ったような、武骨でいびつな岩の塊なのでした。
 しかし、その岩の塊は、唸ることもなく、息を吐くこともなく、ただ、かみ砕くためだけに大きく口を開けて彼らを襲おうとしている、悪意ある岩の塊なのでした。
「・・・・・・なんだ、あいつら・・・・・・」
 サバクオオカミの生気と感情が感じられない顔は、護衛隊の者たちに、「自分たちが戦っている相手は、月に還ることができずに永遠に地上を彷徨うこととなった悪霊たちだ。彼らがその奇岩に乗り移って、自分たちの命とぬくもりを奪おうと襲ってきているのだ」と、感じさせるのでした。
 もとより、岩が走って襲ってくるなど、この世の理から外れたことです。それが起きている以上、他にどのような異常なことが起きても、不思議ではないのです。
 あらかじめヤルダンに不思議なことが起きていると知らされていたにもかかわらず、実際に自分たちの目でこの生死すら超越した奇妙な状況を見て、その声なき恫喝を心で聞いた護衛隊の各員は、心を痺れさせずにはいられないのでした。


 それは、ほんの少しの時間であったのかも知れません。でも、あまりに常軌を逸した異常な光景と、経験したことのない恐怖が、彼等の心を麻痺させた時間は、確かにあったのでした。
「うわっつ!」
 護衛隊の一人が大きな声を上げました。いつの間にか、群から抜け出して先行していたサバクオオカミの一体が、すぐ目の前まで来ているではありませんか!
 大声を上げたその男に向かって、走ってきた奇岩は勢いよく飛び掛かりました!
 それは、野生のサバクオオカミさながらの、躍動感のある高い跳躍でした!!
「ああああっつつ!!」
 男には矢を放つ間も、短剣を抜く間もありませんでした。ただ、彼にできたことは、恐ろしさのあまり動かすことのできない体の中で、唯一動いた箇所である自分の口を大きく開いて、掠れた声を上げることだけでした。

 ヅォッ、ドウウウン・・・・・・。

 大きな音を立てて、塊がゴビの赤土の上に転がりました。
 その塊の中央には大きな穴が開いていました。
「あああ、ああ、ああ・・・・・・」
「おい、大丈夫か、しっかりしろ、近塩(キンエン)!」
 転がっていたのは、大きく飛び跳ねて近塩に襲い掛かろうとしていた、サバクオオカミの奇岩でした。そして、その胴を矢で射抜いたのは、護衛隊の徒歩の者を引き連れてこの場に突入してきた、冒頓だったのでした。
「おいっ、目を大きくあけて、しっかりと見やがれ! お前らの放った矢は効いてるぞ! 相手は不死のバケモンじゃねぇ。射れば崩れ、斬れば倒れる。獣と同じだぜっ!」
 ドーン、ドーン、ドーン!!
 冒頓のすぐ後ろで彼の影のように付き従っていた苑が鳴らす銅鑼の音ともに、痺れて麻痺した護衛隊の男たちの心を、冒頓の檄が叩き起こしました。
「おおおう、そうだっ」
「隊長の言うとおりだ、矢が当たった奴らは崩れて倒れているじゃねぇか」
 護衛隊の者たちの上に覆いかぶさっていた、冷たくて重苦しい呪いは、冒頓の言葉で払われました。
「よいしょ、いつもの通りやるかっ!!」
 左右に分かれていた騎馬の者たちは、一斉に馬首を返して、その場を離れ出しました。
 月の民を含めたこの辺りでは、馬に鞍をつけることは行われていたものの、まだ、「鐙」は発明されていませんでした。
 そのため、どうしても乱戦になると落馬の恐れが出てきてしまいますから、矢を放って役割を果たした護衛隊の者たちは、速やかに戦場を離れる手はずになっていました。もちろん、それを追ってくるものがあれば、馬上で後ろ向きに射かける「背面騎射」で倒す心づもりでした。

 


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