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月の砂漠のかぐや姫 第106話

 そのとおりなのです。御門から直接交結に命じられた月の巫女に関する調査は、公式な手順を踏んだものではなく、あくまで私的なものです。そのため、本来であればそれは交結の胸の内に、しっかりとおさめられてしかるべきものなのでした。
 それにもかかわらず、自分が御門から命令を受けたことを気軽に小野に話してしまうところが、交結が「とても」きさくで、「非常に」人当たりが良いと言われる所以なのでした。
「ですから阿部殿は、この地に王花の盗賊団を作られたのです。つまり、ご自分のためだけに情報収集を行う組織が、必要だったわけです」
 小野が以前に話していたとおり、王花の盗賊団はヤルダンの管理という役割を持っています。この盗賊団の頭目として、信頼する仲間である王花を立て、それを事実上土光村から独立した組織としているのは、このような理由があるからでした。
「そして、我々交易隊は、交易活動の他に、阿部殿の為に祭器の収集や調査を行うと言う側面も持っているのです。この活動は、御門殿など一部の方には知られています。表面上は御門殿が阿部殿に出した指示に従って、調査収集活動をしているということになっています。でも、実際には、我々は阿部殿の為だけに活動しているのです」
 小野の交易隊にも、王花の盗賊団と同じようなことが言えるのでした。交易によって一族を富ますという本来の目的と同時に、ある意味で阿部の私的な目的である、月の巫女に関する情報の収集などを行うために、自分の仲間である小野を隊長に据えているのでした。
 月の民全体の単于(王)は御門です。月の民全体の活動方針や重要な決定は、定期的に行われる、各部族の代表者が集まる全体集会で決定されますが、ほとんどの場合は、御門の意思は月の民の意思、御門の決定は月の民の正式な決定になります。
 ですから、事の秘匿性を考えてあまり公にはされていないものの、各部族の長に対しては、御門から「月の巫女に関する情報や祭器を収集するように」との指示が、正式に回っています。
 小野の交易隊は、この御門からの正式な指示に従って調査などを行っているように装い、実のところは、御門のためではなく阿部のために動いているのでした。「阿部殿の為だけに活動している」そう言い切った時の小野の口調は柔らかではありましたが、そこからは決して動かすことのできない固い意志が感じられるのでした。
「今日はこれを持って行きます」
 そう言って、小野は自分の天幕にぎっしりと詰まれた荷物の中から、ある包みを取り出して膝に載せました。
「それは、何なのでしょうか、小野殿」
 小野が膝に乗せたそれは、短く艶やかな毛で覆われた動物の皮のようで、小さく折りたたまれていました。広げたとしてもそれほどの大きさはなさそうで、せいぜい大人一人が敷物として使うことができる程度の大きさでした。
「これは、火ねずみの皮衣です」
 小野が口にした言葉は、羽磋の想像に無かったものでした。
 火ねずみの皮衣。
 それは、これまで小野や王花が月の巫女の祭器について話をする際に、しばしば口に上っていた名前でした。つまり「火ねずみの皮衣」は、月の巫女の祭器のひとつだったのでした。
 それを土光村の代表者である交結のところに持っていくとは、いったいどういうことなのでしょうか。交結には御門からの依頼が来ていると、小野は自分の口から説明したばかりなのではないでしょうか。
「ああ、羽磋殿、そんなに怖い顔をなさらなくても大丈夫です。これは、偽物ですから」
 小野はつまらなさそうにその包みを見下ろすと、羽磋の膝の前にそれを押し出しました。
「偽物、ですか?」
 羽磋は「どうして偽物をわざわざ届けるのだろう」と訝しく思いながらも、自分の前に置かれた毛皮を手に取り、それを広げてみました。
 それは、今まで見たことがない不思議な柄をした毛皮でした。雪のように白い部分と炭のように黒い部分がくっきりと分かれていて、この毛皮の主が歩いているところを想像すると・・・・・・、いや、羽磋にはとても想像できませんでした。これに似た毛皮を持つ動物など、彼は思い浮かべることができなかったのでした。


「いやいやいや・・・・・・。今日は、本当に良い日だ。留学の方にお目にかかれた上に、このような良い報告までいただけるなんて!」
 でっぷりと太った男が大きな歓声を上げているのは、交結の館の中です。そこは、母屋の中でも最も大きな部屋の中でした。
 その部屋は、移動をすることが生活の一部となっていて、部屋の装飾などにはあまり興味を持つことがない月の民のものとは思えない、とても豪華なものでした。
 部屋の床には、西方から伝わったものでしょうか、様々な形や色をした石が敷き詰められていて、見事な文様が描き出されていました。また、部屋の真ん中には、がっしりとした艶のある長机が置かれており、その上には東方から伝わったものと思われる滑らかな肌の水差しや杯が置かれていました。その長机の横に並べられている椅子の背は、南方からもたらされたと思われる植物で編んだものでした。
 まさに、交易の中継地である土光村を象徴するようなその部屋は、数十人の男が宴会を広げ踊ったとしても、十分なだけの広さがありました。しかし、いまその中で話をしているのは、先程大声を上げていた太った男と、その正面で揉み手をしながら穏やかな笑みを浮かべている小柄な男の二人だけでした。
 この太った男は土光村の代表者である交結で、小柄な男は小野でした。



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