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月の砂漠のかぐや姫 第200話

 この王柔の言葉の中で、羽磋の耳に引っかかるものがありました。「理亜がヤルダンから一人で村にまで来た」と王柔は言いました。これはひょとしたら以前にも聞いていたことかもしれませんが、羽磋は気には留めていませんでした。でも、実際にヤルダンへ旅をしている今は、そこにも不思議があることに気が付いたのでした。
「王柔殿、理亜がヤルダンから一人で村に来たとおっしゃいましたか」
「ええ、そうです。寒山という人が率いる交易隊が西から東へヤルダンを渡るときに、僕は案内人を務めていました。理亜はその交易隊が連れていた奴隷だったんです。あ、今はもう理亜は自由になっていますよ。寒山殿が、理亜が風粟の病に罹ったと思って、ヤルダンの中に置き去りにしていったんですから。ああ、そう言えば、理亜が置き去りにされた場所は、今僕たちが目指している母を待つ少女の奇岩が立つ場所の近くでしたね」
「王柔殿、それも不思議ですよっ。僕たちは土光村を出てからずいぶんと進んでいるのですが、まだヤルダンにはついていないじゃないですか。理亜はそのヤルダンの中に置き去りにされたのに、歩いて土光村までたどり着いたんですか」
「ああっ。言われてみれば、確かにそうですねっ」
 王柔が土光村の入り口に立っていて村に向かって歩いてくる理亜の姿を目にしたときには、再び彼女と会えた喜びと驚きによって、一瞬で心がいっぱいになってしまいました。さらに、そのすぐ後には、自分の身体を理亜がすり抜けてしまった、そして、夜が来て忽然と消えてしまった、という恐ろしい出来事が続いて、彼は気を失ってしまいました。
 意識を取り戻して以降、理亜の身体に起きている不思議なことをなんとかしてやりたいと王柔は色々と頭を働かすことになるのですが、どうしても自分の目の前で起こった不思議なことに目が行ってしまって、理亜が遠いヤルダンの内部から一人で村に辿り着いたという不思議にまでは、注意を向けられていなかったのでした。
「そう考えてみると、理亜に起きている不思議は、ヤルダンの中で始まったのかもしれませんね」
 ヤルダンが精霊の力の強いとても不思議な場所であることは、月の民の遊牧民であれば長老や旅人の話などで必ず聞いたことがあるような有名な話でした。ましてや、羽磋たちはこれまで、そのヤルダンから溢れ出た動く砂岩たちと戦ってきたのです。そこに自分たちが理解できない不思議な力が働いていることには、何の疑問も持っていませんでした。
 羽磋は自分が背にしている皮袋に入っているもののことを考えていました。それは、文字通り羽磋が肌身離さず持ち歩いている皮袋で、交易路から落下して川を流された後でも、彼の背にしっかりと掛かっていました。その中に入っているものは、どれも羽磋にとってとても大事なものでした。
 羽磋は改めて王柔の様子を観察しました。
 ヤルダンを渡る交易隊の案内人の証である赤い頭布を巻いた背の高い若者。あまり筋肉がついておらずひょろっとした細い身体の上には、面長で優しい顔立ちをした頭が乗っています。彼はいつも自信がなさそうにしていますし、口に出す言葉の端々にもそれが現れています。でも、羽磋が見ている限り、自分の仕事はしっかりとこなしているようですし、特に理亜のことでは目上の者に対しても言うべきことを言えています。自分が大事と思うことに対しては、自分の弱い心を乗り越えて、行動ができているのです。
「気弱で自信が持てていない人かもしれないが、優しい人だ。それに、大事なことはしっかりと守れる人だ」
 それが、羽磋の感じた王柔の人となりでした。
「この人なら、大丈夫だろう」
 羽磋はその様に考えて、皮袋を背中から降ろして足元に置くとその口を開きました。
「あれ、どうされました。羽磋殿」
 王柔のその問いには答えずに羽磋が袋から取り出したものは、兎の顔を模した木の面でした。それは、讃岐村を出る際に父である大伴から譲り受けたものでした。兎の面の内側には幾つもの名前が刻まれており、その最も新しいものは、大伴が小刀で刻んだ「羽磋」でした。現在の持ち主が新しい持ち主の名を刻んで継承するこれは、月の民の中でも、主に月の巫女に関する祭祀を司る一族である秋田に限って、伝わっているものでした。
 この面の羽磋の前の所有者は大伴でしたが、その前の所有者は讃岐村の翁と呼ばれる造麻呂でした。造麻呂と大伴とは、大伴が青海に潜む龍の球を取る旅に出たときに造麻呂が手助けをしたという仲でした。ですから造麻呂は、烏達渓谷での戦いで弱竹姫が月の巫女の力を使った、あの祭祀に直接かかわった秋田ではありません。でも、自らが手助けをした結果があの悲劇につながったことに間違いはなく、大伴を深く悲しませることになってしまったと、翁は深く後悔をしていました。
 そのため、「弱竹姫を月に還らせるために月の巫女の秘儀を調べたい、もう月の巫女の悲劇を繰り返したくない」との思いを大伴から聞かされた翁は、秋田として自分が持っている知識と共にこの面を彼に授けたのでした。
 また、造麻呂、すなわち、讃岐村の翁は、大伴の思いに共感して月の巫女を月に還らせる活動に参加し、そこで様々な情報や知識を得たのですが、その情報の中には新たな月の巫女の誕生の兆しが含まれていました。この兆しに従って聖域である竹林で彼が拾った赤子が竹姫、すなわち、輝夜姫なのでした。





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