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月の砂漠のかぐや姫 第48話

 幾つもの峰が高く高くそびえ連なる祁連(キレン)山脈は、まるでどこまでも広がる空を支える柱のようです。その祁連山脈の北部には、空とつながる大地の果てまで、ゴビの荒地が広がっていました。
 しかし、その荒地は見渡す限り赤茶色一色に染まっているものの、完全に生き物を拒絶する死の世界ではなく、祁連山脈からの伏流水を源にするオアシスも点在し、小規模ですが草地も存在していました。
 また、幾つかのオアシスの周辺には、このゴビの荒地で羊などの遊牧を行っている、月の民の根拠地が作られていました。
 祁連山脈から北に離れるにつれて乾燥の度合いが進み、赤土のゴビ荒地に代わって、バダインジャラン砂漠とゴビ砂漠の黄色い砂地が広がっていました。
 この祁連山脈とバダインジャラン砂漠の間のゴビの荒地は、月の民の遊牧地というだけでなく、東の秦と西のパルティアを結ぶ、東西に細長く伸びた交易通路としても機能しているのでした。
 もっとも、交易通路と言っても、一度ゴビの荒地に出てしまえば、明確な道があるわけではありません。それは、これまでの交易の経験から得られた、オアシスとオアシス、村と村を結んだ、比較的効率が良く、水の補給などがたやすい道筋というものに過ぎないのでした。


 天上に高く上った太陽に焼かれながら、この交易通路に沿って、ある交易隊が西へ向かっていました。
 月の民の貴霜(クシャン)族の根拠地である讃岐村から、交易通路を西へ二百里ほど行ったところを、交易隊はおびただしい数の駱駝や驢馬を一列縦隊にして進んでいました。背に重そうな荷物を積んだ駱駝達は、数百頭はいるでしょうか。交易隊の隊員は、列から遅れる駱駝や驢馬がいないかどうかを見張りながら、その横を歩いているのでした。
 駱駝達の数に比べれば、交易隊の人数はその半数にも満たない、大変少ない数のようでした。よく見ていると、その交易隊の人たちは、大きく二つに分けられるようでした。
 一つの集まりは、頭に白い布を巻いた人たちで、この人たちは、主に駱駝たちの世話や荷物の番をしているようでした。
 もう一つの集まりは、頭に布を巻かずに、髪の毛を紐や玉などで飾り付けている人たちで、この人たちは、駱駝達やその世話をしている頭布を巻いた人たちの、更に外側を歩いていました。
 また、少数ですが、その中には、馬を引いて歩いている人もいました。周囲を警戒しながら歩いているこの人たちは、どうやら、交易隊の護衛の人たちのようでした。
 交易通路はゴビの荒地の中を貫いているのですが、必ずしもその道のりの全てが、周囲を見通すことのできる開けた場所とは限りません。祁連山脈に連なる丘の稜線を越えなければならなかったり、雪解け水が流れる川が削り取った谷沿いに進まなければならないところもあります。
 太陽が空から大地へ戻り始めた頃、交易隊の前方に、南の祁連山脈から北側に張り出している、赤土色の屏風のように広がった岩山が現われました。少し前から、交易隊は細い川に沿って進んでいるのですが、この川は岩山に向って流れて行っていました。
 どうやら、山脈と岩山は繋がっていなくて、わずかな隙間があるようでした。川はその隙間を通り抜けて、岩山の向こう側へと流れて行っているようでした。
 山脈と岩山の間はあまり広くはないものの、交易隊が川沿いに進むことは充分に可能のようでした。しかし、このような見通しのきかない場所が、交易隊にとっては最も危険な場所なのです。
 一方で、これを迂回しようと考えると、南は祁連山脈の峰ですから駱駝を連れて通るのは困難です。また、北側に大きく張り出している岩山を迂回した場合には、ありがたい水源から遠く離れることになってしまいます。
 乾燥したゴビの荒地では水の確保は何よりも重要ですから、出来うる事ならば川から離れたくはないですし、もちろん、迂回する場合には大きく時間を失うことにもなります。岩山がどの程度の大きさなのかにもよりますが、水源の近くで野営することを考えるのであれば、今日の行軍はここで諦めないといけないのかも知れません。
 交易隊を率いている頭布を巻いた小柄な男は、前方の岩山を見ると、少しも迷う様子を見せずに、護衛の男たちの頭目と思われる背の高い男に向かって、指示を出しました。

「冒頓(ボクトツ)殿、頼みます」
「ああ、判ってるぜ。小苑(ショウエン)っ」

 背の高い男は、交易隊の前の方で馬を引いている小柄な少年に、呼びかけました。

「了解しやしたっ、冒頓殿。苑、行ってきますっ」

 小苑と名前を呼ばれた少年は、誰の手も借りずにひらりと愛馬にまたがると、それ以上の指示を待たずに、馬の腹を蹴って走り出しました。
 すると、交易隊の反対側から、するすると同じように駆け出し行くものが一騎ありました。
 こちらは、苑と呼ばれた少年とは違い、頭に白い布を巻き付けた少年が馬を操っています。いくら遊牧民族で馬に乗りなれているとはいえ、また、彼らの馬は小柄なものが多いとはいえ、まだ鐙が発明されていないこの時代では、他人の手を借りずに馬上の人となることはなかなかできるものではありません。
 そう、この頭布を巻いた身軽な少年は、交易隊の一員となっている羽磋(ウサ)でした。

「苑殿、俺も行きます」

 羽磋は、先行する苑に馬を並べました。横に並ぶと、二人は兄弟と見間違うぐらい、年格好が似ているのでした。

「わかりました。でも、俺のことは小苑でいいですよ、羽磋殿。羽磋殿は留学のお方ですし、そもそも、俺はまだ、成人もしていないですから」
「わかった、小苑。では、俺のことも羽磋で頼むよ」
「そう言うわけにはいきません、羽磋殿。あー、でも、お言葉に甘えて、敬語は崩していいすか。なんか、敬語ってむずかしいんすよ」
「ああ、ありがとう。小苑、よろしくな」

 二人は、馬の足音にかき消されぬように大きな声を上げながら、岩山の隙間に向って馬を走らせていくのでした。
 護衛隊の頭目である冒頓から特別な指示を受けなくても、苑には自分のなすべきことが判っていました。
 このような見通しのきかない場所が一番危険なのです。なぜなら、交易隊の一番の危険は、彼らが運ぶ物資を狙う野盗であり、このような身を隠す影に不自由しない地形のところでは、彼らが待ち構えている恐れが充分にあるのです。
 つまり、苑の役目は、交易隊に先行して、その危険の有無を調べることにあるのでした。




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