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月の砂漠のかぐや姫 第204話

 あまりに急に止まったものですから、そのすぐ後を歩いていた理亜は止まり切れずに羽磋の体を透り抜けて前にまで出てしまいました。そして、そのさらに後ろを歩いていた王柔が羽磋の背中にぶつかってしまいました。
「あ、すみません、羽磋殿っ」
「いえいえ、気にしないでください。僕の方こそ、すみません、王柔殿。自分の考えの中に閉じ籠ってしまっていました。でも、あれなんです、僕の探していたものは。ほら、あそこに見える、あれです」
 ぶつかったことを謝る王柔に対して気にしないようにと答えると、羽磋は興奮した様子で自分たちの前の方を指さしました。そこでは、広々としていた洞窟がぎゅっと狭くなっていて、壁面と壁面が接近した状態が回廊の様に長く続いていました。その僅かな隙間の床部分はほとんどが水面でしたが地面が全くなくなっているわけではなく、蛇のようにうねりながら続いている回廊の奥の方へ歩いていくことは出来そうでした。回廊の手前の方と奥の方の壁面には、黒々とした大きな口が一つずつ開いていて、池の水が激しく音を立てながら、そこへ流れ込んでいました。それはこの空間からさらに奥へ続く洞窟の入口であり、この空間に溜まっている水の出口でもありました。
「ははぁ、この広い場所に池のように溜まっている水が、川の様になってあの二つの穴の奥へと流れて行ってますね。あれが羽磋殿が捜していたものなんですか」
「そうです。僕はあれを探していたんです。あれが僕の思っていた通りで本当に良かったですよ、王柔殿」
 羽磋は嬉しそうに答えましたが、王柔はどうして羽磋がこれを探していたのか、それに、どうしてそんなにうれしそうなのかが、よく判っていないようでした。
 王柔のその様子を見て、羽磋は自分の思っていることを始めから説明することにしました。


 羽磋たちが川に流されて入り込んでしまった洞窟は、ヤルダンの台地を支える岩壁の奥深くへと続いていました。暗闇の中で滝のようになっている場所を落下した際に意識を失った彼らは、この広い地下空間で意識を取り戻しました。どれくらい川を流されたのかはわからないのですが、周囲の様子から考えると自分たちがまだヤルダンの地下にいるのは確かでした。
 王柔は自分たちが大きな怪我もなく無事でいられたことですっかりと安心してしまい、まだそれ以外のことを考えることはできないでいました。でも、それは仕方のないことかもしれません。なぜなら、彼らは母を待つ少女の奇岩に襲われて、岩壁の中腹に刻まれた交易路から崖下に落下したのです。幸運にも崖下を川が流れていたために命を失わずに済みましたが、そこで命を落としていても全く不思議ではなかったのです。また、彼らが落ちた川の流れはとても激しかったので、羽磋が機転を利かして水面に浮かんでいる駱駝のコブに自分たちを縛り付けなければ、そこでおぼれてしまっていたでしょう。さらには、川の流れと共に入り込んでしまった洞窟の中で、彼らは滝を落下することになります。そこで激しい衝撃のために気を失っただけで済んだのは、まったくの偶然だったのです。ですから、自分たちに命があること、王柔にとっては今はそれだけで十分で、それ以外のことは頭に浮かんで来ないのでした。
 羽磋にとってもそれは同じことで、生きてこの場に居るということだけでとてもありがたいと思いますし、手足を地面に投げ出して横になり、しばらくは余計なことを考えたくないという気もしています。でも、羽磋は次にどうするかについて考え始めていました。つまり、「ここからどうやって出るか」についてです。この場所から外へ出ないことには、もう一度輝夜姫と会うこと、それに、彼女を月へ還すことなど、叶いはしないのですから。
 羽磋の小柄な身体の奥底には、「想いを叶えたい」というキラキラとした、でも、とても熱い気持ちが常に輝いていて、彼の身体に沁み込んでくる疲れや後ろ向きな気持ちを溶かしているのでした。それは、皆が子供の頃には持っていた素直な気持ちなのですが、多くの人は成長するにつれて忘れてしまうものです。でも、羽磋は成人を認められるまで成長した今になっても、この気持ちを持ち続けているのでした。
 水面が放つほのかな青い輝きのお陰で、ある程度までですが周りの様子を見て取ることはできました。空間の床部分の多くを占める大きな池に、水が静かに流れ込んできているのはわかりました。おそらくは羽磋たちをこの空間に運んできたのも、その水の流れなのでしょう。
 では、その流れを遡っていけば此処から出られるでしょうか。
 川を遡るには、流れに逆らって泳ぐ必要がありますから、それはとても難しいと思われます。それに、一体どれだけの間流されてきたのかがわからないということは、どれだけの距離を遡らなければいけないかがわからないということでもあります。さらに、仮にそれができたとしても、あの滝があります。あの滝を昇ることは、考えるまでもなく、無理です。やはり、この空間に流れ込んでくる川を遡って外に出ることは、できそうにありませんでした。





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