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月の砂漠のかぐや姫 第111話

「こんにちは、王柔殿、こんにちは、理亜姫」
 羽磋は、年長の王柔に対してはもちろん、その保護の下にある理亜に対しても、丁寧な呼びかけをしました。羽磋からしてみれば理亜は年下になりますから、未婚の女性に対する敬称の「姫」をつける必要は無いのですが、彼女の保護者同然である王柔に対して気を使ってのことでした。
「ああ、羽磋殿、そこまで気を使っていただくことはないですよ。理亜と呼んでやってください。せっかくのお気遣いなのですが、そもそも、理亜本人がよく判っていませんから」
 王柔は、丁寧な羽磋の呼びかけに対して軽い驚きを覚えつつも、あまり気を使わなくて良いと応えました。
 理亜はもともと異国の出身であり、ある程度は月の民の言葉を理解し話しはするものの、やはり、細かな敬称の使い分けまでは充分に理解できていないのでした。そのため、せっかくの羽磋の厚意でしたが、それが本人にとってはかえって混乱の元となってしまうのでした。また、王柔にしてみても、気を使われることにはなれておらず、あまりに堅苦しくされると気疲れをしてしまいそうでした。
 思ってもみなかったほどの気遣いが自分より年下の羽磋から示されたことで、もともと羽磋のことを「自分よりもできの良い、別格の人」と思っていた王柔は、彼の成熟度と自分のそれの大きな違いを、改めて感じてしまうのでした。
「呼びかけの言葉ひとつとっても、やはり留学に出る方は違う。そこまで考えや気配りをめぐらすことは、自分にはとてもできないな」
 そのような思いが、自然に心の中に沸いてきますし、それに加えて、「ああ、自分は駄目だなぁ」という、自分を否定するような思いまでもが、心の奥底から表面に浮き上がってくるのでした。
 羽磋はとても素直な少年でしたから、王柔の内面にそのような複雑な思いがあることなど、想像もできていませんでした。むしろ、「肩肘を張らずに、気楽にしてもらっていいよ」と、年長者である王柔が許しを与えてくれたと受けとったのでした。
 三人は一塊になって、大通りをゆっくりと歩き出しました。羽磋の要件は既に終わっていましたし、王柔たちも王花の酒場に戻るところでした。
「私は、この村の代表者の交結殿のところにご挨拶に伺って、これから天幕に戻るところなんです。実は今朝も、王柔殿と理亜が大通りを歩いておられるのをお見掛けしたのですよ。どちらに行かれていたのですか」
「あれ、嫌だなぁ、羽磋殿に見られていたのですか」
 王柔は照れたような、あるいは、苦々しいような、複雑な表情を浮かべました。それは、隠そうとする本人の意思にも関わらず、笑顔という仮面の下から垣間見えてしまった、感情の率直な表れだったのでした。
「えーと・・・・・」
 王柔は頭の中で急いで計算をしました。計算? いったい、彼は何を計算していたのでしょうか。
 王柔がちらりと見下ろした理亜は、「はんぶーん、はんぶん。はんぶんナノ。はんぶーん、ぶんぶん。はんぶんナノ」などと、小さな声で適当な歌を口ずさみながら、傍らを歩いていました。王柔のことを信頼しきったようなその様子をみると、王柔は正直にありのままを羽磋に話す気が、無くなってしまいました。
「ええ、まぁ、ちょっと、ね。いろいろと準備をしていました。ほら、もう明日は、ヤルダンへの出発ですから」
 そのような言葉が出てしまったのは、何も深い考えがあってのことではありませんでした。ただ、ちょっと、話し辛かっただけなのです。なんとなく、口に出したく無かっただけなのです。今日、自分たちがしてきたことについては。
 羽磋と王柔は、昨日、王花の酒場で出会ったばかりでした。
 羽磋にとっての王柔は、ひょろっとした外見や自信がなさそうな話し方から、少しばかり頼りない印象は受けますが、ヤルダンを案内するという重要な役職についている、立派な年長の成人男子でした。
 反対に、王柔にとっての羽磋は、小柄な体格やその年齢からすると、青年というよりも少年といった方がしっくりと来る男でした。でも、自分より年下であるその少年は、とても真っすぐな心と信じられないような強いまなざしを持っていて、しっかりとした芯がないと自覚している自分などは、彼の放つまぶしい光の前では、萎れて倒れてしまいそうに思えるのでした。
 正直に言うと、王柔は羽磋が苦手でした。彼の前に立つと、自分の弱さを意識せずにはいられないからでした。「もし自分が羽磋のようであれば、理亜のことも、もっとどうにかできたのかも」、そのようにさえ思えてきて、もともと、さして好きでもない自分のことが、ますます嫌になってきてしまうのでした。
 大通りの端に来たところで、羽磋と王柔たちは別れることになりました。羽磋は村の外に設営されている天幕に戻り、王柔たちは王花の酒場へ戻るのです。
「それでは、明日はよろしくお願いします、王柔殿。では、また明日、理亜」
「いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いします。羽磋殿。ほら、理亜」
「ん、さようなら、ウサ」
 ヤルダンの先にある吐露村の阿部の元を目指す羽磋。彼が自分の一族を出た大きな目的は、輝夜姫という守りたい存在があるからでした。厳しい旅になるかと思われましたが、その一生懸命で一途な態度は、交易隊の小野や護衛隊の冒頓等との良い出会いを生み出しました。
 一方、奴隷としてさらわれた自分の妹の手掛かりを得るために、生まれ育った国を出て王花の盗賊団の一員となった王柔。生来の性格なのか、自信がなく、人と自分を比べて弱気になってしまう一面を持っています。でも、今、彼の元には、守るべき存在である理亜がいました。
 二人は全く違う性格や生まれ育ちを持ち、それぞれ異なる立場にいました。
 でも、彼らにはまた、共通するところもありました。それは、「守りたい大切な女性がいる」というところなのでした。
 その二人は、背中に大通りの賑わいを感じながら、それぞれの場所へと戻っていきました。
 日頃から魔鬼城とまで言われ恐れられているヤルダン、そして、いまは精霊の力が大きく乱れ、何か人知を超えた恐ろしいことが起きているのではないかとさえ、考えられているヤルダン。
 明日は、そのヤルダンへ向かって、二人が足を踏み出す日なのでした。



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