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「月の砂漠のかぐや姫」これまでのあらすじ⑰(第79話から第80話)


 それから、二日が経ちました。
 行進を再開した寒山の交易隊は、ヤルダンを無事に抜けて、中継地点である土光村へ到着していました。
 王柔は、彼らがヤルダンを抜けるために雇われた案内人でしたから、「ご苦労さん、あの子のことは、あまり気にするなよ」という雨積の言葉に送られて、隊から離れていました。
 本来であれば、土光村の中にある「王花の酒場」に、仕事が終了した旨の報告をしなければいけないところでしたが、王柔の足はそこへは向かいませんでした。
「理亜を置き去りにしてしまった」
 王柔が何度思い返してみても、あれ以外にできることを思いつかないのですが、それでも、自分が守りたいと思った少女をゴビの砂漠、それも、ヤルダン魔鬼城の中に置き去りにしてしまったことに変わりはないのです。その事実が、王柔の心を苦しめていたのでした。
 そんな彼が向かっていたのは、村の出入り口でした。
 王柔は村の外に出ると、村を守るために造られている土壁に背を預けて、じっと西の方、つまり、自分たちが通り抜けてきたヤルダンの方を眺めるのでした。それはまるで、ヤルダンの有名な奇岩「母を待つ少女」のようでした。
 王柔は、土光村についた日からずっと、村の出入り口の外で理亜を待ち続けました。
 でも、彼は砂岩でできた立像ではなく息をする生身の人間ですから、体力には限界があります。それに、いつまでも仕事の報告をしないでいるわけにもいきません。
 彼が村の外に立ち始めてから二日目の太陽が地平線の近くに降りてきた頃、とうとう、王柔はその場を去ることを決めたのでした。
「ごめんよ。理亜、ごめんよ・・・・・・」
 それは、王柔がつぶやいた何度目の謝罪の言葉だったのでしょうか。その言葉が、足元から長く伸びた影に吸い込まれそうになった時・・・・・・、彼はあるものに気が付いたのでした。
 西の方から、ヤルダンの方から、小さな人影がこちらに近づいてくるではありませんか。
 その人影は、背中から受ける西日が作った、自分よりも何倍も何倍も伸びた黒い影の上を、まるでそれが定められた道だとでもいうかのように、歩いてきていました。
「理亜、理亜、理亜あっ!」
 その人影が誰かを、王柔が見間違うはずがありませんでした。それは、その小さな人影は、まぎれもなく、ゴビに放置された奴隷の少女、理亜その人でした。
「理亜、理亜あー!」
 王柔は彼女の名を叫びながら、走り出しました。でも、二日間も立ち続けたせいか、彼の身体は固く強張っていて思うように動きません。気ばかり焦るせいもあって、彼は数歩も走ったところで転んでしまいました。でも、王柔はすぐに立ち上がると、再び走りだしました。彼は痛みなど感じていませんでした。理亜がいる。理亜がいるのです。
 小さな人影の方でも王柔の姿を認めたのか、こちらに向かって走り出していました。
「オージュ、オージューッ!」
 王柔のことを呼んでいます。理亜です。やはり、その人影は理亜なのです。
「オージューッ!!」
「理亜、理亜ーっ!」
 お互いの距離は、どんどんと小さくなっていきました。
 もう、王柔にも理亜の顔がはっきりと見えていました。その顔は、王柔に会えた喜びと安心感からでしょうか、涙と笑みで崩れていました。
「良かった。理亜、本当に良かった」
 王柔は走ってくる理亜を抱きしめようと、腰を落として彼女を待ち受けました。
 その腕の中に飛び込んでくる理亜。
 地上に隠れる寸前の太陽が地に描く二つの長い影は、ここで一つに・・・・・・なりませんでした。
 なんと、理亜の身体は王柔の身体をすり抜けて、反対側に飛び出てしまったのでした。
「あ、あれ・・・・・・」
「え、オージュ・・・・・・」
 振り返ってお互いを見つめる二人。今度はゆっくりと理亜に近づくと、王柔はおそるおそる右手を彼女の頭に近づけました。でも、やはり彼の右手は、彼女の柔らかな赤い髪をすり抜けてしまうのでした。
「オージュ、ワタシ、どうしちゃったんダロウ・・・・・・」
 びっくりして右手を引いた王柔に、理亜が戸惑いながら話しかけました。彼女の頬を涙が伝い、ゴビの大地にぽつぽつと黒い染みを付けました。先ほどまでの幸せの涙とは違い、これは戸惑いと寂しさからくる涙でした。
「ワタシ、オージュに会いたかったの。ワタシ、ヒョッとし」
 その時。
 西の空の果てで、太陽が完全に大地の中に没しました。太陽の眷属はその力を失い、月の眷属が力をふるう時間が来たのでした。
 そして。
 理亜は、忽然と、その姿を消してしまいました。
「り、理亜? どこだ?」
 自分の目の前にいたはずの理亜が、完全に消えてしまったのです。まるで始めから誰もいなかったかのように・・・・・・。
「夢か、夢でも見ていたのか、僕は?」
 まず、王柔は自分を強く疑いました。でも、自分の足先の地面には、黒い染みが、理亜が落とした涙の後が、残っているのでした。
「理亜、理亜は、やっぱりここにいたんだ。でも、どうして、理亜、理、亜・・・・・・」
 ただでさえ王柔の心と体は疲れ切っていました。そこへ、思いもかけない理亜との再会の喜びと、理解できない彼女の消失への戸惑いが、一気に訪れたのです。
 王柔は、ガクッと大地に膝をつくと、その場に崩れ落ちました。これ以上負荷がかかって壊れてしまわないようにと、生き物としての本能の働きにより、意識を失ってしまったのでした。



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