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月の砂漠のかぐや姫 第138話

「羽磋殿、どうですか」
「ええ、大丈夫そうです。進みましょう」
 何度もそのようなやり取りを繰り返し、交易路の上に積み重なった不安を崖の横に掃き出して風に流してしまいながら、王柔と羽磋は岩襞と崖の間の細い道を進みます。
 一歩ずつ。一歩ずつ。
 それは僅かな距離の積み重ねに過ぎません。でも、交易隊の男たちは、文句も言わずに王柔たちに従って進みます。
 彼らは経験を通して、知っているのです。
 例え一歩ずつでも進んでいれば、いつかは、困難な状況を抜けられるということを。
 労力を惜しんで一か八かの近道を取ったとしてもそれがうまくいかずに、結果として困難だけれども確実な道を最初から通っていた方がかえって楽だった、ということが多いということを。
 小野の下で長い道を旅してきた交易隊は、時間こそかかりますが着実な手段で、確実にこの難所も乗り越えようとしているのでした。

 コロン。
 細い縄のようになって進む交易隊の先頭が、ようやく崖際の細い道の終わりに差し掛かろうかというとき、隊の中頃を歩く男の足元に小さな岩が転がり落ちてきました。
「うん? 小石か?」
 赤子の握りこぶしほどの小さな砂岩です。男はたいした意識もせずに、それを踏みつぶして砂に還しました。
 パラパラン。コロコロン。
 後ろを歩く男の足元にも、子供の握りこぶしほどの砂岩がいくつか転げ落ちてきました。
「なんだよ。それっ」
 男はそれを蹴って砕きました。
 バラバラバラッ。ゴローンッ。
「うわぁっ! 上から! あぶねぇっ!」
 次の男の足元には、子供の頭ほどの大きな砂岩が、いくつも転がり落ちてきました。危うくそれにぶつかりそうになった男は、飛び上がって大声を上げ、砂岩が転がり落ちてきた岩襞の上を見上げました。
「おわわっつ! いわ、いわあっ! あぶねぇ、あぶねぇぞ!」
 男が見たのは、自分たちをめがけて岩襞を転がり落ちてくる、大小入り交じった無数の岩の塊でした。下からそれを見上げた男には、自分たちの上に岩が滝のように落ちてくるように見えました。
 ガシン! バシンバシンッ!
「おいっ、どうした。うわぁ!」
「ぐわっ、いてぇっ」
 ドドドドン。バシバシ! ガラガラン。ガラガラガラン!
 ンゴオ! ンゴオオッ!!
 バン、ドシンッ。
「やめろ、おい、止まれっ」
 ブオッ、ンブオオオ・・・・・・。
 ドドドドド! ガシン、ガシン、ガシン!
「駱駝が、駱駝が!」
「落ちるぞっ。崖から離れろっ」
「岩襞に近づくな、頭を守れっ」
 岩襞を転がり落ちてくる砂岩に隊の中央を襲われた交易隊は、煮えたぎった油に水を注いだかのように大混乱に陥ってしまいました。
 あちらには、砂岩から身を守ろうと、小さく縮こまって頭を抱えている者がいます。
 こちらには、驚いて走り出そうとする駱駝を引き留めようと、手綱を全力で引いている者がいます。
 岩を避けているうちに崖際まで来てしまって、肝を冷やす者もいます。
 中には、転がり落ちて来る岩の直撃を受けたのか、身体の一部を押さえて、うめきながら倒れ込んでいる者もいます。
 ウオオオオオン! ウオオオオオンッ! ウオオオオンンンンッ!
 細い道を通るために交易隊は長い列に伸びているのですが、先頭の者から最後尾の者まで、そのすべての者の頭の中に、声なき声が、サバクオオカミの音無き叫びが、耳を通さずに響いてきました。
 ドオーンッ。ドオウンッ!
 今や、崖を転がり落ちてくる砂岩は、大人の身体ほどの大きさになっていました。
 それは、交易隊の男に当たった場合には、その不幸な男を地面へ押し倒し、駱駝の横っ腹に当たった場合には、それを谷底へと突き落とすのでした。
 ガコン、ドスン、という岩が落ちる音に交じって、男たちの悲鳴と「ヒュホオオゥ・・・・・・」という悲しげな駱駝のいななきが、交易路を吹く風に乗って広がっていきました。
「落ち着け、みんな、落ち着けっ! くそっ!」
 落岩から逃げ惑う者たちと驚いて暴れる駱駝たちが交差する中で、なんとか混乱を治めようと冒頓も大きな声を上げますが、次々と頭の上から大岩が落下してきて、さらに自分の周りでは興奮した駱駝が暴れているこの状況では、その声もいつものようには男たちの耳にとどきません。冒頓は暴れ出しそうな自分の馬を苦労して御しながら、悔しそうに唇をかみしめました。
 まさか、このような場所で上から岩が落ちてくるとは。いや、落とされるとは。
 もちろん、冒頓はこの岩襞と崖に挟まれた細い道がとても危険な場所であると認識し、敵に襲われたときのことまでも考えに入れていました。
 ただし、冒頓が考えていたのは、道を抜けた先に広がっている隠れ場所がたくさんある台地での襲撃の危険や、細い道を抜けようとする際に隊の先頭が集中的に襲撃を受ける危険でした。なぜなら、そのような襲い方を野生のサバクオオカミがよく行うからでした。
 でも、このような場所で、上から岩を落とすような攻撃は考えていませんでした。そのような知恵が相手にあるはずがない、そう、頭の中まで砂が詰まったサバクオオカミの砂岩に、野盗が行うような襲い方を考える力があるはずがないと、冒頓は決めつけていたのでした。
「チィツ! なんで、こんなことになってんだっ」
 ドスンッ!
 冒頓の乗る馬の目の前に、大きな岩が落ちてきました。その砂岩は落ちた衝撃で二つに割れました。すると、そのうちの一つに、まるで冒頓をあざ笑うかのような裂け目が生じました。
「くそっ」
 忌々しげに冒頓が愛馬の蹄で砕いたその砂岩の塊は、どこかサバクオオカミの頭の形にも似ていました。




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