見出し画像

月の砂漠のかぐや姫 第96話


「さて・・・・・・」
 小野が説明を続けようとした、その時でした。
 ガタンッ。
 大きな音を立てて椅子から立ち上がった男がいました。それは、先程から白い顔をして緊張のあまり細かく震えていた王柔でした。
「ま、待ってください! 理亜も、理亜もその場に連れて行くんですか! この間も盗賊団の仲間が大怪我をしたところに、小さな理亜を連れて行くなんて・・・・・・、僕は、僕は・・・・・・反対ですっ! それに、それに・・・・・・」
 叫ぶような大声が王柔の口から飛び出しました。人目を気にする性質の王柔にとって、このような大事な場面で意見を言うこと、それも、半ば決定事項になっていることについて反対の意見を言うことは、とても勇気のいる事でした。いつもならば、話されていることと違う思いを抱いていたとしても、何らかの発言しないことの理由を心の中で作り上げて、首をすくめて黙っているところでした。
 でも、いま話されていることは、理亜についてのことでした。少し前から、王柔は話の流れが「理亜をヤルダンに連れて行く」という方向に向いているのではないかと、気が気でなかったのでした。そして、心配していたことが現実となった今、これまでは自分でも探し出すことが出来なかった勇気を、心の奥底の襞からなんとか絞り出して、震える膝を机の陰に隠しながら、王柔は立ち上がったのでした。
 さらにもう一つ、どうしてもこの場で言わなければいけないことが、王柔にはあったのでした。それは、盗賊団の首領である王花や交易隊の隊長である小野などの、自分よりもはるかに責任のある地位につく人たちに、お願いをするということだったので、それをこれから話すのだと考えることも、彼の緊張の度合いをますます高めてしまうのでした。
 その願い事は、自分と理亜が体験した出来事を話す中で、思い切って話してしまおうと思っていたことでした。でも、王花に話を途中で引き取られてしまい、ここまで話す機会がなかったのでした。もちろん、何度も声を上げようと自分を励ましはしていましたが、なかなか良い機会を見つけられずにいたのです。でも、今なら、勇気をもって立ち上がった今なら、王柔はそれを話すことができる気がしていました。
 極度に緊張した様子で、一気に自分の想いを机の上に広げようとする王柔の様子を見て、王花は彼を押しとどめようとしました。ここ数日、王柔や理亜と行動を共にしてきた王花には、王柔の言いたいことがおぼろげながら想像できましたし、それは「心配なことについても共有する」ことを習慣としている小野が、これから話そうとしていることと同じことだと思えたからでした。
 しかし、その王花を制したのは、説明を遮られた当の本人である小野でした。小野の目は王花に対して、こう語っていました。
「彼が勇気を出して話そうとしているのです。聴いてあげましょう」
 また、その目は、話を遮られたことへの怒りや苛立ちではなく、嬉しさや優しさの気持ちを王花に伝えてきていました。これまで、たくさんの交易隊員の成長を見守ってきた小野には、聞こえていたのかも知れません。王柔が自分の殻を破ろうと、頑張って内側からそれを叩いている音がです。
 自分の周りでそのようなやり取りが行われていることに、王柔が気づくゆとりがあるはずもありませんでした。彼の心の中にある考えることを載せるための皿は、「理亜のために言わなきゃ」、その想いだけで溢れんばかりになっていました。そして、もちろんそこには、「自分がこれから言おうとしていることを、その当人である理亜に聞かせていいものかどうか」という疑問を載せる余地などはなかったのでした。
「それに、それに・・・・・・、理亜はどうなってしまうんでしょうか!」
 王柔が絞り出した言葉に、王花と小野は「やっぱり・・・・・・」と目配せし合いました。やはり、王柔が話したいこととは、小野がこれから話そうとしていた、理亜の身体についてのことでした。
 王柔の頭には、恐ろしい光景が浮かんでいました。

 ・・・・・・ヤルダンの中で、なにやらぼんやりと人の形をとった砂の塊と多くの男たちが戦っています。
 あちらこちらで、大きな怒鳴り声や血も凍るような叫び声が上げられています。
 その中心にあって、何かを指示するように両手を振り上げてるのは、母を待つ少女の奇岩です。そうです、男たちはこの奇岩を破壊するために、ここまで来ているのです。そして、その場には、王柔や理亜もいるのです。
 やがて、母を待つ少女を護る砂の塊はその数を減らしていき、とうとう男たちの刀が母を待つ少女に振り落とされる時が来ます。
 アアアアアアッ。
 音無き叫びが男たちの耳を貫き、母を待つ少女の身体が崩れゴビの赤土と一体となった時、理亜が、昼間だというのに消えてしまうのです・・・・・・。

 ああ、そうではないでしょうか。
 理亜が、不思議な力で土光村まで辿り着いたのは、母を待つ少女の力だったのではないでしょうか。それなのに、その母を待つ少女を破壊してしまっては、理亜は、理亜は・・・・・・。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?