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月の砂漠のかぐや姫 第139話

「イケ・・・・・・」
 ウオオオオオンッ。
 ザザアッ。ゴロゴロゴロン!


 何層にも重なり合っているゴビの岩襞の一番上、ちょうど大混乱に陥っている交易隊を見下ろす位置にいるのは、母を待つ少女の奇岩とサバクオオカミの奇岩たちでした。
 母を待つ少女の奇岩は、ヤルダンの中で自らの動きを封じている足元の岩を砕き、サバクオオカミの奇岩の群れを率いて、ここまでやって来ていたのでした。
 もちろん、その目的は自分が送り込んだサバクオオカミの奇岩の群れを打ち砕いた、冒頓たちに復讐するためでした。
 冒頓が考えに入れていなかったのは、この母を待つ少女の存在でした。
 サバクオオカミの奇岩と同じように砂岩の塊に過ぎない彼女でしたが、人の姿に似た形をしているからでしょうか、それとも、別の理由があるのでしょうか、単純に交易隊の正面から襲い掛かるのではなく、地形を生かした周到な待ち伏せを考え、それを実行に移していたのでした。
 それは、血の通っていない砂岩ならではの作戦ともいえる、恐ろしいものでした。
 自分たちよりもずいぶんと下の層に、交易路を進む冒頓たちの姿を確認すると、母を待つ少女の砂岩が声なき声で命令を下します。すると、ヤルダンからここまで彼女の影のようになって付き従ってきたサバクオオカミの奇岩は、まったく迷う様子も見せずに身体を丸くしたかと思うと、切り立った崖の上から真下へ向かって、勢いよく転がり落ちていくのです。
 そうです。岩襞の上から恐ろしい勢いで転がり落ちてきて、交易隊員や駱駝たちをなぎ倒しているこの砂岩の塊は、誰かが投げ落とした岩などはなく、サバクオオカミの奇岩が姿を変えたものだったのです。
「イケ・・・・・・」
 ウオオオオオンッ。
 ザザアッ。ゴロゴロゴロン! ザザァッ。ゴロゴロゴロン!
 ゴビの岩襞の一番上の段で母を待つ少女の命令が下る度に、サバクオオカミの奇岩は切り立った崖を自ら転がり落ち、交易隊員や駱駝たちを打ち倒し、ゴビの大地に当たって砕け、あるいは、交易路からもさらに転がり落ちて、薄暗い崖下を流れる川の中へと消えていくのでした。


「冒頓殿、どうするっすかっ。このままじゃ・・・・・・」
 次々と転がり落ちてくる岩を避けようと上を見上げながら、苑が悲鳴にも似た声を上げました。
 冒頓は素早く周囲を見回しました。
 前方では、片側が崖でもう片側が岩襞という細い道の上で、交易隊の男たちが驚いて暴れる駱駝を何とか落ち着かせようと、必死に頑張っています。自分たちの後方でも同様です。上を見てもこの攻撃を行っている者の姿も見えませんから、矢を放ってその者を倒すという訳にはいきません。もちろん、地に伏せて岩をやり過ごすこともできません。
 右手の崖の遥か下には川が流れているようですから、運を天に任せて崖から飛び降りることもできますが、果たして無事でいられるかどうか、まったくわかりません。そして、左手には固い岩の壁があって、彼らが逃げることを拒んでいます。
「しかたねぇ。みんな、岩襞にぴったりと貼り付けっ。荷と駱駝はいいっ。とにかく自分を守るんだっ」
 次々と起きる岩の落下音と男たちや駱駝の出す大声の上に、冒頓のあげた大声が重なりました。周りの状況を見た冒頓が、素早く判断を下したのでした。
 転がり落ちてくる砂岩は、人や駱駝に当たればそれを打ち倒し、あるいは、谷底へと突き落とします。しかし、何物にも当たらなかった場合は、交易路に当たって砕けるか、谷底の暗闇へと消えていきます。交易路の上で、再びサバクオオカミの姿を取ることはありません。
 また、岩襞を転がり落ちる勢いがとても強いので、途中で岩襞に触れた多くの岩は、大きく跳ねながら落ちてきます。
 冒頓は、岩襞にぴったりと貼りつくことによって、できるだけ落岩の直撃を免れようとしたのでした。ただ、非常に興奮している駱駝までも壁際に付けることは、この状況ではとても難しいと思われました。暴れる駱駝を落ち着かせようと時間を費やしている間に、次々と落下してくる岩に打ち倒されてしまいそうです。
 このような時に、交易隊の隊長の中には、目的地まで荷を届けることを第一として、とっさに「荷を守れ」と叫ぶ者もいるかもしれません。でも、「駱駝のことは気にするな、とにかく自分の守れ」、冒頓は部下に対してそう指示したのでした。
 よほど冒頓の指示に対しての信頼が厚いのでしょう。冒頓の声が届いた交易隊の中央部の者たちは、冷水を浴びせられて眠りから覚めた者のように、混乱した状態からはっと立ち直ると、血がにじむほど握りしめていた駱駝の引き綱を離して壁際に走り、濡れた木の葉のようにぴったりと、背中を岩に押し付けました。
 ンブオオオッ! オオ、オオ、オオン!
 ドド、ドド、ドドドドッ。
 一方で、引き手がいなくなった駱駝たちが落石の恐怖から逃れるためには、走り出すしかありませんでした。重い荷を背負っている駱駝たちですが、極度の興奮状態にある彼らには、それは何の重しにもなりません。隊の中央部の駱駝たちは、茶色い濁流となって、前方に向かって激しく押し寄せました。




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