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月の砂漠のかぐや姫 第140話

 興奮のあまり口から泡を吹きながら走ってくる駱駝たちを見るや、交易隊の前の方を歩いていた男たちの頭から「取り押さえよう」という気持ちは吹き飛んでしまいました。
 いつもであれば駱駝は従順で頼りになる相棒ですが、こうなってしまうと、それは自分たちよりも背が高く力が強い、危険な大型の生き物なのです。
「うわっ、危ないっ」
「避けろ、避けろっ」
 でも、狭い交易路のことです。前の方を歩いていた交易隊が駱駝を避けるための場所など、どこにもありません。
 男たちは激しく上下する駱駝の蹄の下敷きにならないように、自分が引いていた駱駝の手綱を放り出して、慌てて壁際に身を寄せることしかできませんでした。
 ドシ、ドシン。
 ンブオオ、ンボオウ!
 後ろから激しくぶつかられた駱駝たちは、大きな悲鳴を上げながら、今度は自分たちが前に向かって走り出します。
 それは、交易路に発生した茶色の雪崩のようでした。隊列の中央部で発生したかと思うと、どんどんと隊列の途中の駱駝や馬を、さらには不幸な隊員をも巻き込んで勢力を増しながら、轟音とともに前方へと伝播していきました。そして、その一部は細い道からあふれ出して、崖下の暗がりへと落下していきました。

 
 隊の先頭を歩いていた王柔や羽磋たちも、この濁流を逃れることはできませんでした。
 細道を抜けた先に敵が潜んでいることはないかと、ありったけの神経を前方に集中していた彼らは、後方で不意に起こった轟音に背中を撃たれると、あまりの驚きに一時息ができないほどでした。彼らは、自分たちが通り過ぎた場所は安全であるとして、後方にはまったく注意を向けていなかったのです。
「な、なんだ。うわぁっ」
 反射的に音がした方を振り向いた王柔が見たのは、茶色い壁、すなわち、興奮した駱駝たちが、細い道の幅いっぱいに広がって、自分たちの方に向かって押し寄せてくる姿でした。
 異常なまでに高まった駱駝たちの興奮は、実際に彼らが大地を蹴って進むよりも早く、前方へと伝播していました。
 ンンボオオオオオウッッ!
 王柔が引いていた駱駝が、突然大きく口を上げて啼いたかと思うと、前方へ駆け出そうとしました。
「オイッ、コラッ、大人しくしろ! コラッ」
 王柔は必死の形相で、自分の手に食い込む手綱を力いっぱい引き、何とかして駱駝を落ち着かせようとしました。なぜなら、王柔が引いているこの駱駝には、大切な理亜が乗っていたのですから。理亜は人には触れることができないものの、他の物には触れることができます。駱駝から振り落とされたり、ましてや、興奮した駱駝に踏みつけられでもしたら、大怪我では済まないかもしれないではありませんか。
「キャッ、イヤァッ」
 悲鳴を上げながら、理亜は駱駝の首にしがみ付きます。
「王柔殿、大丈夫ですかっ」
 駱駝の力はとても強いので、興奮した駱駝は手綱を引く王柔の身体を引きずりながらでも、前に進もうとします。
 そこへ、羽磋が加勢に加わりました。理亜と王柔の一刻の猶予もならない様子を見ると、自分が引いていた愛馬の手綱を放り出して、王柔の身体にしがみつきました。
 ンボオオウッ! ンボオオウ!
 駱駝は、狂ったように首を振りながら、何とか前へ進もうとします。口から泡を吹き、飛び出した長い舌で自分の両頬をバチバチと叩きながら、恐ろしい何かから逃れようともがきます。
「ホウ、ホウ! ほら、落ちつけ!」
「理亜、落ちるなよっ。首に掴まれ、理亜ぁっ」
 王柔と羽磋は、何とか駱駝を取り押さえようと、手綱を引きながら必死になだめます。
「ホウ、ホウ、ホウ! ホウ、ホウ、ホウ!」
「ドウドウ! どうした、ドウドウドウ!」
 力を振り絞る二人の横を通って、数頭の駱駝が前の方へと走り抜けていきました。それらは、王柔たちのすぐ後ろを歩いていた交易隊の者が引いていた駱駝でしたが、自分の身に迫った危険を避けるために、それを引いていた男が手綱を放り出してしまったのです。その駱駝の走りに触発されたのか、羽磋の愛馬までもが、前足を高く上げたかと思うと前方へ走り去ってしまいました。
 ドドゥドオウドドッ!! ドッドウッ、ドドウッドゥ!
 何重にも積み重なった剣呑な地響きが、急速に大きくなりました。駱駝の激流が、交易隊の先頭にまで押し寄せてきたのです。交易隊の男たちは壁際へ飛び退って、なんとか自分たちの身を守ろうとするので精一杯でした。
「熱い、くそっ、痛い」
 王柔が引き絞る手綱にかかる力が、さらに強くなりました。
 理亜を乗せた駱駝も、自分の後ろに迫る大きな茶色の壁に気が付いたのです。このままでは、走ってくる駱駝たちに弾き飛ばされ、激しく上下するその蹄で踏みつけられてしまいます。その前に何とか自分を押さえつけている人間を振り切って、前に逃げなければいけません。
 駱駝が口から吹く泡が、ゴビの大地に大きな染みを付けました。
 自分の命の危険を明確に感じた駱駝は、力強く嘶くと今までにない力を四肢に込めました。
 ボオオオウウウウウッ!




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