ビジネスモデルイノベーション協会(BMIA)

一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会 Business Model Innov…

ビジネスモデルイノベーション協会(BMIA)

一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会 Business Model Innovation Association 通称BMIAです。ビジネスモデルイノベーションの普及活動として、コンサルタント認定講座やイノベーションに関するイベント、セミナーを開催しています。

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記事一覧

中土井僚 × 小山龍介 『ビジョンプロセシング』出版記念対談 〜生起するビジョンとビジネスモデルのプロセシング〜(1)

【日時】2024年9月4日(水)19:30〜21:30 【会場】BMIA高輪オフィスからライブ配信 【登壇者】中土井僚・小山龍介 小山龍介(以下、小山) 中土井僚さんをお迎えしまして…

思考のインフラとしての哲学

ヒュームの経験論を経て、カントにおいて認知論的な転回、いわゆるコペルニクス的転回が起こる。そこでは、私達が知覚する世界は、認識の枠組みによって構成されるとされ、…

思考もまた反復するのか

「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は、個体の発生において、かつての進化の過程、魚類から両生類、鳥類、哺乳類と、系統発生の形態を反復するという説だ。これ…

応用3「シナリオプランニング」を終えて

BMIAコンサルタント認定講座の応用3を終了した。ビジネスモデルキャンバスを徹底的に活用する応用1、顧客ニーズを分析する応用2に対して、応用3では未来へのシナリオ策…

真正性の〈脱神話化〉と起源の選択

それが本物であるかどうかという真正性(オーセンティシティ)は、近年、さまざまな領域で議論されてきた。まず、真正性を担保する要件が整理され、例えばそれがオリジナリ…

光を読む、時間を読む

写真を撮るようになって、光の質に敏感になった。 夏の昼間の日差しは強すぎてコントラストがくっきりでるので、正直、屋外で人撮影しても顔に落ちる影がすごいし、寒色の…

思考の工藝化

https://note.com/bmia/n/nf485cd9df13c 先の記事で柳の言葉を引いたので、もうひとつ、この柳の言葉から記事を書いてみたいと思う。柳は『工藝の道』の中で次のように言…

デジタル時代の工芸精神

前の記事は、途中からAIに文章を書かせてみた。途中まで文章を書いているので、その文脈やスタイルを読み取って、齟齬のないような文章を続けてくれる。だから、見分けがつ…

手間を掛けることで意味が生まれる

カメラはライカのM11を使っている。M型と呼ばれるこのカメラには、オートフォーカスの機能がない。自分でピントを合わせて撮影する必要がある。そのため、とっさの撮影では…

自己満足としての写真

数年前に投稿した写真が、たまにFacebookでリマインドされて上がってくるのだが、あまりの酷さに驚く。過去に遡って消してしまいたいくらいだが、自分の撮影した写真の酷さ…

七尾旅人の次元

七尾旅人の作品は、党派性に回収されない次元に存在している。そんなことを書いてみたいと思う。 「Long Voyage」は、コロナ禍による混乱を描いた作品であるが、決して社…

「ひふみよ」から「Long Voyage」へ

北海道での移動は必然的に長時間ドライブが増える。今回のツアーでも、札幌から旭川、苫小牧、白老など、車での移動となった。最終日には、せっかくの時間なので、小沢健二…

アイヌの知人

昔のことですっかり状況は忘れてしまったが、ある飲み会で知人のひとりが、実はアイヌの血を引いているという話をしたことがあった。そのときの彼の様子は、すごく後ろめた…

ウポポイの民族共生象徴としての意義

念願のウポポイを訪問したのは、今回の札幌ツアーの最終日だった。この日も快晴で、雲一つないというような表現がぴったり来るような天気だった。途中、支笏湖などに寄りつ…

世界を内在化させる

もう少し暗黙知について紹介していこう。ポランニーは、暗黙知を近位項と遠位項にわけ、そこに近位項から遠位項へという指向性を見出した。遠位項へと注意を向けることによ…

暗黙知の誤解

ポランニーの暗黙知の話題が出たので、暗黙知に関する誤解について触れておきたい。ポランニーは、暗黙のうちに知ってしまうという知のはたらきについて暗黙知と名付けたの…

中土井僚 × 小山龍介 『ビジョンプロセシング』出版記念対談 〜生起するビジョンとビジネスモデルのプロセシング〜(1)

【日時】2024年9月4日(水)19:30〜21:30 【会場】BMIA高輪オフィスからライブ配信 【登壇者】中土井僚・小山龍介 小山龍介(以下、小山) 中土井僚さんをお迎えしまして、『ビジョンプロセシング』出版記念対談「生起するビジョンとビジネスモデルのプロセシング」をお届けします。 中土井僚(以下、中土井) お招きありがとうございます。 小山 「U理論」をきっかけに中土井僚さんのお名前を知った、という方も多いのではないでしょうか。私も、『U理論』が出版されたあとに僚

思考のインフラとしての哲学

ヒュームの経験論を経て、カントにおいて認知論的な転回、いわゆるコペルニクス的転回が起こる。そこでは、私達が知覚する世界は、認識の枠組みによって構成されるとされ、その後の哲学の大きな潮流を作った。枠組みを重視すれば、その後のソシュールの言語学からレヴィ・ストロースの文化人類学へつながっていくし、認識のほうを重視すれば、フッサールの現象学やメルロ=ポンティの身体論などにつながっていく。 18世紀に活躍したカントから200年ほど時代は下るのだが、芸術においてルネサンス以降の写実主

思考もまた反復するのか

「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復説は、個体の発生において、かつての進化の過程、魚類から両生類、鳥類、哺乳類と、系統発生の形態を反復するという説だ。これは、さまざまな反例があることもあって否定されているが、未だに否定されきっていないという人もいる。 これを行動様式、思考様式にも応用できるのだろうかと考えた人は、少なからずいた。幼児期に水たまりにバシャッと足を踏み入れるのは魚類だったときの行動、思考の反復であり、やたら木に登りたがるのは猿だったときのそれなのだ、という

応用3「シナリオプランニング」を終えて

BMIAコンサルタント認定講座の応用3を終了した。ビジネスモデルキャンバスを徹底的に活用する応用1、顧客ニーズを分析する応用2に対して、応用3では未来へのシナリオ策定がテーマである。 未来はすでに起こりつつあるというのが、ドラッカーの指摘であった。たとえば、将来の人口動態は、その年の出生数を見ればあきらかだ。その年に70万人生まれたとすると、30年後の30歳人口は、(海外からの流入がなければ)70万人を超えることはない。 将来の変化はすでに手元で起こりつつある。その起こり

真正性の〈脱神話化〉と起源の選択

それが本物であるかどうかという真正性(オーセンティシティ)は、近年、さまざまな領域で議論されてきた。まず、真正性を担保する要件が整理され、例えばそれがオリジナリティやリアリティなどであるとされた。これは、偽物を見分けるための議論であった。観光領域においてこうした真正性を最初に問題としたのはブーアスティンで、イメージとして創られた、現実とは異なる観光体験を「疑似イベント」と呼んで批判的に捉えた。ショーとして上演される伝統芸能は、もはや生活の中で行われるときの真正性を失っているの

光を読む、時間を読む

写真を撮るようになって、光の質に敏感になった。 夏の昼間の日差しは強すぎてコントラストがくっきりでるので、正直、屋外で人撮影しても顔に落ちる影がすごいし、寒色の蛍光灯と暖色のLEDが混ざり合う室内では肌の色がきれいに出なくて、撮影が難しい。いいカメラやレンズを使っていても、光がだめだと、いい写真にはなりにくい。 同じ夏であっても、朝は光が柔らかい。斜めから差し込むことで、より厚い大気の層を抜けてくるので、光がいい具合に拡散するのだ。最近のデジカメは暗所性能が高いので、室内

思考の工藝化

https://note.com/bmia/n/nf485cd9df13c 先の記事で柳の言葉を引いたので、もうひとつ、この柳の言葉から記事を書いてみたいと思う。柳は『工藝の道』の中で次のように言う。 柳の言う「私なき直観」は、まさに最近、ずっと追い求めているものだ。「私なき」が重要ではないかというのは、先の中土井僚さんとの対談で持ち出したものでもある。「オーセンティックな私」を前提とするのではなく、私ではないところ、私なき直観から出てくるものが重要ではないか、という問題

デジタル時代の工芸精神

前の記事は、途中からAIに文章を書かせてみた。途中まで文章を書いているので、その文脈やスタイルを読み取って、齟齬のないような文章を続けてくれる。だから、見分けがつかない。 これはまるで、カメラのオートフォーカスのようなものだ、というのが文章の趣旨だった。ここにフォーカスをもっていきたいというフォトグラファーの意図を汲み取ってピントを合わせてくれるカメラ。最近はこのオートフォーカスにもAIが搭載され、人の骨格などを把握して顔の位置や目の位置を類推したりもする。スキーゴーグルを

手間を掛けることで意味が生まれる

カメラはライカのM11を使っている。M型と呼ばれるこのカメラには、オートフォーカスの機能がない。自分でピントを合わせて撮影する必要がある。そのため、とっさの撮影ではピントは外れるし、時間をかけて合わせても微妙なズレがある。動いているものを撮ろうとすると、ピントを合わせることはほぼ不可能になる。そんな不便なカメラを使っている。 昨日、新しいM型ライカが発売された。M11-Dと名付けられたそのカメラには、背面液晶がついていない。そのため、撮影した写真を確認することができないし、

自己満足としての写真

数年前に投稿した写真が、たまにFacebookでリマインドされて上がってくるのだが、あまりの酷さに驚く。過去に遡って消してしまいたいくらいだが、自分の撮影した写真の酷さに気づくというのは、そのときから写真の腕が上がっている証拠でもあると思って、なんとか思いとどまっている。 自分の写真の酷さを一言で言えば、「何を撮りたいのか、わからない」ということにつきる。ただ漠然とシャッターを押していて、そこに何が映っているかということについて無関心なのである。シャッターを押しているという

七尾旅人の次元

七尾旅人の作品は、党派性に回収されない次元に存在している。そんなことを書いてみたいと思う。 「Long Voyage」は、コロナ禍による混乱を描いた作品であるが、決して社会風刺というレベルでとどまることがない。社会的な混乱の中で、七尾旅人はそこで翻弄される一人ひとりの心の襞にまで、降りていく。深いプールの底のようなところまで潜り、その沈黙の中で音を生み出す。七尾旅人の音楽は、そうした沈黙に裏打ちされている。 アルバムの中で、クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到達につ

「ひふみよ」から「Long Voyage」へ

北海道での移動は必然的に長時間ドライブが増える。今回のツアーでも、札幌から旭川、苫小牧、白老など、車での移動となった。最終日には、せっかくの時間なので、小沢健二のライブアルバムを、同乗したプロジェクトメンバーにリアルタイム解説しながら、ドライブした。 ライブアルバム『我ら、時』に収録されたこのコンサートツアーは、2010年に行われた、そのとき13年ぶりとなるコンサートだった。本当に素晴らしいライブだった。13年待ったファンの熱量もすごかったし、それをしっかり受け止めるライブ

アイヌの知人

昔のことですっかり状況は忘れてしまったが、ある飲み会で知人のひとりが、実はアイヌの血を引いているという話をしたことがあった。そのときの彼の様子は、すごく後ろめたいことを話しているような雰囲気だったのだが、まわりの人は、「へえ! (珍しくて)すごい」というような反応だった。それは、アイヌが長年、差別に苦しめられてきたことを知らない、無知ゆえの素朴な反応だったと思う。 差別の歴史を知っていれば、また別の反応があったと思うが、それもまた問題をはらんでいる。「同じ人間だ」といえば、

ウポポイの民族共生象徴としての意義

念願のウポポイを訪問したのは、今回の札幌ツアーの最終日だった。この日も快晴で、雲一つないというような表現がぴったり来るような天気だった。途中、支笏湖などに寄りつつ、午後には民族共生象徴空間ウポポイに到着した。ウポポイとはおおぜいで歌うことを意味するアイヌ語だ。 このウポポイは、「我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴」(ウ

世界を内在化させる

もう少し暗黙知について紹介していこう。ポランニーは、暗黙知を近位項と遠位項にわけ、そこに近位項から遠位項へという指向性を見出した。遠位項へと注意を向けることによって、手元にあるさまざまな情報がつながり、近位項として意味をなしていく。 さらにポランニーはここで、こうした近位項として機能させる手段として、内在化(dwell-in)を重視する。ポランニーの言葉を引いてみよう。 サッカーの試合を、外から観戦しているのと、自らピッチ上に立って試合をしているのとでは、まったく認識が異

暗黙知の誤解

ポランニーの暗黙知の話題が出たので、暗黙知に関する誤解について触れておきたい。ポランニーは、暗黙のうちに知ってしまうという知のはたらきについて暗黙知と名付けたのだが、一般的には、「言葉では伝えられない知識」という理解が流通している。この両者は似ているようで、まったく違う。 ポランニーのいう暗黙知は、論理的に説明ができないけれども、そのことを知ってしまうという、いわば動詞としての暗黙知を唱えた。なので、私はいつもTacit Knowingという英語を当てるようにしている。その