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暗黙知の誤解

ポランニーの暗黙知の話題が出たので、暗黙知に関する誤解について触れておきたい。ポランニーは、暗黙のうちに知ってしまうという知のはたらきについて暗黙知と名付けたのだが、一般的には、「言葉では伝えられない知識」という理解が流通している。この両者は似ているようで、まったく違う。

ポランニーのいう暗黙知は、論理的に説明ができないけれども、そのことを知ってしまうという、いわば動詞としての暗黙知を唱えた。なので、私はいつもTacit Knowingという英語を当てるようにしている。そのほうが真意が伝わりやすいからだ。

このTacit Knowingの仕組みとして、ポランニーは盲人の杖の例をあげている。盲人が杖を使って、その先の道の状態を知るとき、実は非常に複雑なことを行っている。アスファルトなのか、土なのか、それとも砂利道なのか。杖の先の感触から、瞬時に理解することができる。

ポランニーは、手元に伝わってくる感触のことを、近位項と呼んだ。近いところにあるこの情報は、それだけを分析しても意味が捉えづらい。杖を持つ手にセンサーをつけて、圧力や加速度を計測しても、それだけでは杖の先になにがあるのかはなかなかわからない。しかし、人が杖の先に意識を向けたとき、とたんに手元の情報の意味が浮かび上がってくる。このときの杖の先を、ポランニーは遠位項と呼び、遠位項に意識を向けたときに近位項の情報が統合され、その意味が諒解できると考えた。

消費者の行動をいくらセンサーやログで取得しても、その先に意識を向けないと意味をなさない、というのは、なんとなく理解できるだろう。ポランニーのような科学者の思考プロセスで言えば、手元で起こっている不思議な現象について、どのような原理が働いているのだろうかと考えるときなどに、暗黙知は起動する。何かの発見をするとき、まず結論がわかってしまう。ロジカルな証明はその後にやってくる。逆ではない。

私たちは、言ってみれば、手の届かないような超越的な対象に意識を向けるときに、世界について知ることになる。すこし飛躍して言えば、科学の観点から言えば迷信であるところの宗教が、科学の発展に寄与したのは、宗教があることで神という超越者に意識を向けることができたからだ。

ニュートンは、「神であればどのように世界を設計するか」と考え、すべての物体が引力を持つという「万有引力の法則」を着想した。星のような巨大なものだけが引力を持つという、そんな特殊な世界を神が作るはずがない。万有引力の〈万有〉という遠位項は、神への信心がもたらしたのだ。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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