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思考のインフラとしての哲学

ヒュームの経験論を経て、カントにおいて認知論的な転回、いわゆるコペルニクス的転回が起こる。そこでは、私達が知覚する世界は、認識の枠組みによって構成されるとされ、その後の哲学の大きな潮流を作った。枠組みを重視すれば、その後のソシュールの言語学からレヴィ・ストロースの文化人類学へつながっていくし、認識のほうを重視すれば、フッサールの現象学やメルロ=ポンティの身体論などにつながっていく。

18世紀に活躍したカントから200年ほど時代は下るのだが、芸術においてルネサンス以降の写実主義からの大きな転回として、印象派と呼ばれる芸術運動が起こる。世界を構成する知覚に焦点を当てたものであり、絵画における認知論的転回といえよう。

その後のフォーヴィスムは、認識の自由をさらに獲得する。原色を多用した強烈な色彩がまるで野獣=フォーヴのようだということで名付けられたこの運動は、抽象絵画、キュビズムなどにつながっていく。もちろんここには、三原色をはじめとした科学的発見も寄与している。

アンドレ・ドラン《クロスブリッジ》1906年


フォーヴィスムのような奇抜な絵画を見慣れている現代において、カントの認識論的転回は当たり前のことのように受容できてしまう環境が整っている。それはまるで、もはや誰も地動説を疑わないような信念でもって。いや、それは言いすぎだとしても、少なくともそうした絵画を見て、「こんな絵は無意味だ」という人はいない程度には浸透している。哲学的発見というのは、こうしたかたちで私たちの思考の一部として取り込まれているわけだ。

とすると、哲学を学ぶ意義のひとつには、私たち自身が当たり前だと思っている思考の腑分けという側面がある。なぜこのように考えるようになったのか、その起源をたどるような旅。直接、読んだり聞いたりしたことのない哲学の議論も、私たちの生活を支えている。いわば思考のインフラなのだ。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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