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変貌するシルクロードの国・ウズベキスタン鉄旅:①私がウズベキスタンを旅したわけ 

 2019年8月、私は中央アジアのウズベキスタン共和国を鉄道で旅行した。そこで見たものは、シルクロードの国の深い歴史と変貌する現代の姿、そのなかを生きる庶民の息遣いだった。あれからコロナ禍があり、ロシアのウクライナ侵攻があり、ウズベキスタンをめぐる状況も大きく変貌した。しかし、あの時、ウズベキスタンで見聞したことは今でも変わらないものがあるだろう。2023年5月の時点で、ウズベキスタンの旅を振り返ってみたい。

 ウズベキスタンは中央アジアの一国で、かつてはソビエト連邦に属していた。面積は447,400平方キロメートルと日本より約10万平方キロメートル広い。人口は3,280万人なので日本の約4分の1である。主な宗教はイスラム教である。

 なぜ、私がこのウズベキスタンへ行ってみたいと思ったのか?
 一つ目は、ここがかつてシルクロードの中心地であり、隊商が行きかい、玄奘三蔵もこの地域を経由してインドへ向かい、モンゴル帝国をはじめ古代帝国がこの地域を奪い合った。その歴史の足跡を見てみたいと思ったことだ。
 二つ目は、この地域が現在、新たな経済発展を遂げ、砂漠の中をウズベキスタン版の新幹線・アフラジャブ号が疾走し、中国の「一帯一路」戦略のなかでも重要な位置にある。その変貌する現状を見てみたいと思ったことである。
 三つ目は、旧ソ連圏への興味である。Noteに2017年の極東ロシアの旅の記録を掲載しているが、その続きである。
 四つ目は、「乗り鉄」として、ウズベキスタン 版の新幹線や中央アジアの都市を走る地下鉄やトラム(市電)に乗ってみたかったことである。
 日程は2019年8月14日~19日で、訪問したのは首都タシケントと古都のブハラ、サマルカンド。現地滞在は実質4日間の駆け足の旅だった。

ウズベキスタンの地図

旧ソ連的な壮大なホテル

 8月14日、関西空港を10時40分発のアシアナ航空で飛び立ち、ソウル経由でウズベキスタンの首都・サマルカンドの空港に到着したのは現地時間20時19分だった。日本と4時間の時差があるので日本時間では0時19分。約14時間の旅だった。
 一泊目はホテル・ウズベキスタンへ泊った。伝統的なホテルで、いかにも旧ソ連的な壮大な出で立ちだった。

壮大なつくりのホテル・ウズベキスタン

 ホテルに落ち着き、バーでとりあえずビールを飲むことにした。ウズベキスタンはイスラム教の国だが、ソ連時代に宗教的なものを制限し、世俗化を進めたことから、アルコールには寛容だ。写真は、ウズベキスタンのビールだ。ビールを注文しても、日本みたいに勝手に突き出しを出すこともないし、おつまみはどうですかとおススメすることもない。日本的には物足りない気もするが、日本がサービス過剰なのかもしれない。
 値段はこれ一杯で25,000スム。25,000と言う数字でびっくりするが、当時1円=約80スムだったので、312円ぐらいだ。

おつまみもなくビールを飲む

砂漠や大草原を疾走するウズベキスタン版新幹線

 翌8月15日は、「乗り鉄」として、この旅の最大の目的の一つであったウズベキスタン版の新幹線、アフラシャブ号に乗ってタシケントからブハラへ向かった。

威風堂々たるタシケント駅

 タシケント駅は青色を基調とした威風堂々たる風貌だった。この威風堂々ぶりも旧ソビエト社会主義様式の名残りでありながらも、青の都サマルカンドのイスラム風を表現しているのだろう。
 この駅の構内に入るのにパスポートとチケットのチェックがあり、続いて駅の建物に入ったところで荷物のチェックがあった。
ホームにはすでにアフラジャブ号が入線していた。スペインのタルゴ社製の車両で、なかなか格好いい。

アフラジャブ号に乗り込む人々

 7時28分、アフラシャブ号は定刻通りになんの合図もなしにスッとタシケント駅を出発した。車内はこんな感じで、なかなか快適だった。時速120〜130キロぐらいで快適に走っていた。
 乗客は、現地の方のほか、ロシアっぽい顔つきの人、若干の日本人や韓国人、それにインド人。現地の人の話によるとこの当時、観光客として増えているのが日本人、韓国人、インド人ということだった。

アフラジャブ号の車内

 発車後まもなく紙袋が配られた。開けてみると、クロワッサンとケーキ、コーヒー・クリーム・砂糖が一緒になったネスカフェのパウダーと紙コップが入っていた。乗務員がポットを持って紙コップにお湯を注いで回ってくれる。他のお客さんの様子を見ていると、お茶に変えてくれとリクエストすると、変えてくれるようだ。

アフラジャブ号の朝食

 アフラシャブ号には食堂車が連結されていて、ちょっとした軽食やドリンクを提供していた。食堂車まで行って食べても良いし、注文すれば座席まで持ってきてくれる。日本では新幹線でも食堂車はなくなり、在来線の特急では車内販売さえ廃止されているところが多いので、羨ましい限りだった。

アフラジャブ号食堂車

車窓から見る砂漠と草原、農耕地、オアシス、工業地帯

 乗り鉄の楽しみの一つは何といっても走り行く列車の外の風景を眺めることだ。じっと眺めていると沿線地域の気候風土、歴史、産業や土地利用、人々の暮らしが見えてくることがあった。
 今回、タシケント〜サマルカンド〜ブハラを往復する列車から見ていると、車窓の外の風景はだいたい5種類ぐらいにわかれることがわかってきた。
 動画を観ていただきたい。

 一つは砂漠やハゲ山である。その昔、シルクロードを行く隊商がラクダで「月の砂漠をはる〜ばる」と旅したのはこのあたりだろうが、この曲の優雅なイメージとは違って過酷な旅だったに違いない。
 二つ目は見渡す限りの広大な草原(ステップ)である。ボロディンの「中央アジアの草原にて」のイメージ通りだ。そのかなりの部分が牧草地となり牛が放牧されていた。
 三つ目が農耕地である。草原の一部で、牧草地とも入り組んでいるようだ。苦労して井戸を掘り、灌漑ができるようにしたのだろう。車窓から見た範囲だが、トウモロコシ、小麦、お茶、コメ、綿花などを栽培しているようである。夕方、農家さん一家が牛を連れて家路に向かっている様子を見た。遠目に見ただけだが、とても満足そうな笑顔していたように見えた。
 四つ目が農耕地のなかの集落である。砂漠はもちろん、草原にも農耕地もほとんど樹木が生えていないが、集落の周りには防風林のような感じで樹木が生えている。
 これがいわゆるオアシスだ。砂漠や草原の中で水がある場所に、人が住み、農業を営むようになり、そこへ隊商がやってきてバザールが開かれ、ヒト、モノ、カネが集まり、古代の王たちの拠点となり、やがてサマルカンドやブハラのような都市国家になっていたのである。
 五つ目は、近代的な都市や工場、住宅などである。車窓からはごく一部にしか見えなかったが、あとでウズベキスタンのGDPの産業別比率を見ると、第一次産業 (24%), 第二次産業 (27%), 第三次産業 (49%) と意外と工業の比率が高いことがわかった。ウズベキスタンの地下には豊富な資源が眠っている。

(つづく)


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