見出し画像

今ふりかえる極東ロシアの旅③ ついに憧れのシベリア鉄道に乗る

2017年の夏、私は極東ロシアの旅に出かけ、「暗い」「冷たい」「怖い」というロシアのイメージを随分と変えた。それから約5年後、この原稿を書いている2022年4月の時点で進行してるロシアによるウクライナ侵攻はいかなる理由があっても正当化できるものではない。しかし、いまの時点にたって当時、極東ロシアで見聞きし、感じたたことを伝えることは意義があることだと考え、何回かに分けて連載する。

 2017年8月16日の夜、私はハバロフスクからウラジオストクへむけて、シベリア鉄道のオケアン号という夜行列車で出発した。この列車に乗ることが当時の極東ロシアの旅の最大の目的であった。

オケアン号の車内

線路を渡って荷物を運んでくれるドライバーさん

 ホテルから駅へ連れて来てくれたドライバーさんの後をついて、線路をひょいひょいと渡ってオケアン号のホームへ。出発時間が近づくにつれて乗客が三々五々集まってきた。お客の重い荷物を持ってホームまで運んでくれるポーターさんも健在。日本でもむかしは「赤帽さん」がいたのに、いつの間にかなくなってしまった。

 列車は、午後9時発でウラジオストクには明日の朝8時半には到着した。

4人1組のコンパートメント

 列車の車内は基本的に4人1組のコンパートメントになっていて、二階寝台だった。

 私は下の段。向かい下の段はハバロフスク在住のコリアンの若者だった。彼は英語が話せるので、ロシア語×日本語で全くコミュニケーションができないストレスはないので助かった。上の段には屈強なロシア人の若者が乗っていた。 

 シベリア鉄道にはいつか乗りたいという憧れがありながら、絶対に無理だろうなと決めつけてきた。たしかに、ウラジオストクからモスクワまで直通する「ロシア号」だと6泊7日なので、さすがに無理がある。しかし、ハバロフスク〜ウラジオストク間の1泊2日なら無理ではないし、この列車をターゲットにしたツアーが組まれていることを知り、今回実現してワクワクした。ワクワクしすぎて寝られないかもしれないと思っていたが、ガッタン、ゴットンと同じ間隔で刻む音を聞いているうちにあっさりと寝てしまった。

 とはいっても、翌朝、目が覚めたのは6時過ぎだったと思う。早朝の車窓の風景を眺めるだけでもウキウキとしてきた。

 シベリア鉄道オケアン号の車内の様子をビデオと写真によるムービーにまとめてみたので、ぜひ、ご一緒にオケアン号の旅を楽しんでみたい。

シベリア鉄道の起点 ウラジオストク駅

 ウラジオストク駅に到着後、いったんホテルへ荷物を預けた後、駅をブラブラと散歩した。

 ウラジオストク駅は、いうまでもなく、シベリア鉄道の起点だ。

 ヨーロッパ系の鉄道の駅では、ホームに入るのに改札口はなく、出入り自由で、長距離列車等は各車両の入口で、改札する。なので、どこでも自由に歩き回れる。ただ、駅舎に入る時には荷物のX線検査があるが、ただ形式的にやっているような感じだった。

 中国の鉄道駅の場合は、日本と同様にホームに入る時に改札がある。しかも、列車の出発直前までホームに入れてくれない。駅のルールは国によってかなり違うようだ。

ウラジオストク駅の外観
重厚感のあるウラジオストク駅の構内
ハバロフスクへ戻るオケアン号
蒸気機関車の展示

 それはさておき、ウラジオストク駅の駅舎は重厚で風格のある建物だ。駅前広場には人々に進むべき方向を指し示すレーニン像が立っていた。

 ここから鉄路は延々とモスクワへ、さらにヨーロッパへと通じていると思うと、ロマンがある。2017年はシベリア鉄道開通150周年だった。かつての門司港駅も、朝鮮半島を通じて大陸へつながる駅として、こんな雰囲気があった。駅の待合室も、これから長旅に出ると言う「旅情」がかもしだされていた。

 あれから5年。まずコロナ禍があり2年あまりは海外渡航そのものが難しくなった。そして、ロシアのウクライナ侵攻を契機に、日本を含む西側諸国はロシアへの経済制裁を強め、このオケアン号のような旅を自由に楽しむことはできなくなっている。この5年間で、世界はすっかり変わってしまったのだろうか。

<今ふりかえる極東ロシアの旅② | 今ふりかえる極東ロシアの旅④>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?