幸せへの執着心
幸せになりたい、なんてよく聞くけど、一体幸せとは何を指すのか。
みんな「なにか」を指している。
そして、私もその中のひとり。
「なにか」を指して私も思う、「幸せになりたい」。
疲れた帰り道、悲しい出来事があった直後、理不尽なことを言われた時。
「私、ふつうに生きたいだけなのにな」。
普通に毎日を過ごして、家に帰って恋人に会う。それだけでどんな日でも乗り越えられたりする。
けど、‘‘これだけ’’が私の幸せだろうか。
本当はもっと、例えば猫を飼ったり、毎日定時にあがったり。
毎日恋人に会う。晩は時間をとって、美味しいご飯をゆっくり笑い合いながら机を囲む。
あげだしたらキリがない。おそらくみんなそうだ。
「なにか」はわからない、いや伝えきれない。
でも私たちは「幸せ」への執着心がある。
もっと言語化できたらきっと、「なにか」が何者かわかって、「幸せ」へ近づけると思う。
毎日働いて理不尽な上司に、思いやりが足りない上司と同じ空気を吸う。
今のわたしの幸せは休日にある。あとは、平日の夜。
みんなの幸せはどこにある?
場所もわかっていたら、幸せまであと少しな気がする。
でもきっと、その場所に行ったら移動するんだろうなとも思う。
だからいつまでも「なにか」が「どこ」に移動しているか、それを把握していることがこの苦しい心を解放する術だと私は思う。
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