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マチネの終わりに/感想

マチネの終わりに、を読了した。

そもそも恋愛メインの書籍や音楽など好まない自分がこの本を手にできたのは、著者が冒頭で述べていた「この二人は違う」という言葉を信じて疑わずに読み進められたからであろう。

これを大人の恋愛、で片づけてしまっていいのだろうか。
…というのが、私の最初の感想である。

こんなはがゆくもどかしいのにどこかホロっと胸が温かくなるような恋愛を、大人になったからとて出来るか?!といった方が正しいかもしれない。

いやあ無理でしょ。私が40代になったとて洋子にはなり得ない。そして世のアラフォー女がすべて洋子の様な選択をできるとも思わん。

でも、年を重ねるにつれて抗うより「致し方ない」と受け入れる方が傷が浅いことも間々あるのかもしれないな、と思えた。抗うには気力も体力も、そして多くは時間を要するわけで、限りある時間の中であれこれ工面するのはとても骨が折れる。そういった制限の中で自分が出来る最良の選択は何かと問うた時、あのような関係性が実現するのかもしれない。

薪野ではないが、私にとっても洋子はとても魅力的に思えた。三谷の行動にはさすがにゾッとしたが、それでも主役と名脇役という言葉を反芻しながら飲み込もうとすることはできた。許せないことだが、三谷の価値観を思えばこそ、やむを得ないことだったのかもしれない。そういった意味ではマリアとマルタの話は興味深かった。困惑し、苦悩したこの数年を三谷を責めることなく許したようにすらみえた洋子。私にはこの洋子という存在がどこまでも自身より他人を重んじ、思い遣りが深く、また愛情深い人柄に思えてならなかった。それこそマリアの様に。

すれ違いが起きたまさにその時、受け取った文面をただそれとして受け止めるではなく、なぜ、と相手に問い返していたらまた話は変わっただろうか。二人は互いに自分の中で何故と自問し続けて相手にその答えを要求することはついぞなかったように思う。そこが私にはこの話の、この二人の他とは違うところだったのでは、とすら感じた。当時という時代背景を鑑みてもこの二人だからこそ、だったのではないかと思う。言葉足らずのすれ違い、で片づけてしまうにはあまりにも乱暴すぎる、繊細さや儚さすらどことなく感じられるこの二人の愛のカタチ。

インターネットを介しては幾度とやり取りがあっても、たった3回しか実際に会ったことがない相手。40代という年齢を前にして急かされる結婚や出産。そうした制約や現実と折り合いをつける必然性が、悲しきかな年齢を重ねるほど高くなるのかもしれないな…

ある男、からのマチネの終わりに。よかったです、とても。


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