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「人が訪れてなんぼの世界」。お寺の方向転換は簡単ではなかったと想像する。

週末旅行。
ある観光地で、感じたことがある。

訪れた「お寺」。
夜はライトアップされ、オブジェを配置したり、
プロジェクションマッピングを入れたり、
コンサートを開いたりしている。
よく考えると、ここへの方向転換は、大変だったのではないかと想像する。

今でこそ、このような形になっているが、
恐らくそんなお寺でさえ、方向転換の際に多くの葛藤や、内部での激しい議論があったのではないだろうか。

最初から、そのようなコンセプトを持って建てられた商業施設であれば、当たり前のことかもしれない。
しかし、そこは伝統のある「お寺」である。
いくつもの時代を経て、この時代に至っている。

なので、このような企画が持ち上げられたときは、スンナリ行くはずがないと思っている。

結果的には、「人が訪れてなんぼの世界」である。
お寺も、人が訪れなければ、
さびれてしまったり、建物の修繕もできず朽ちてしまうことさえある。

だから、多くの人が訪れてくれて、お賽銭や拝観料その他でお金を落として行ってくれた方が、いいのである。
そして、そこがある意味、一大観光地になれば、その周りも潤ってくる。
そのころに踏み切れるかどうかは、大きな転換点になる。

ライトアップされた紅葉を観ながら、ふと、そんなことを考えてみる。

常識とされてきた、過去の概念を打ち破り、実行力のあるパイオニアの出現が、大きな成功を成し遂げている。

いつの時代も、それまでの常識破りがあり、変わってゆくと思うのだ。


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