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25年前、初めて自分の力で「書く仕事」を得た日のこと。

「作家になる」と言い張って、大学時代に一度も就職活動をしなかった私は、大学を卒業した時はただの「作家志望のフリーター」だった。

塾講師のアルバイトを続けてお金を稼ぎ、家事をすることで実家に住まわせてもらい、1円にもならない小説を書き散らしていた。
週に一度は大阪編集教室のライターコースへ通い、「作家がダメでもライターとしてやっていくから」と、そんな言葉で親を納得させていた。

ライターコースを修了する時、先生に「今後」を聞かれ、私は「フリーランスでやること」を希望した。
教室にいくつか求人も来ていたが、社会不適合者の自分が「会社」という組織で働けるとは思えなかったし、心のどこかでまだ作家の夢もあきらめきれていなかったからだ。

先生は「じゃあ、自分から世間に働きかけないといけないよ。あなたというライターがこの世に存在していることは誰も知らないんだから」と言葉を贈ってくれた。

とにかく仕事をしなければと、私は「フリーライター」の肩書で名刺を作り、教室で紹介してもらった編集プロダクションに連絡をとった。
そこでは「るるぶ」や「マップルマガジン」などの旅行ガイド誌の取材記事をいくつかやらせてもらった。

それから、塾講師をしていた経験を買われ、小学4年生の家庭学習教材の国語の問題集を作ったり、国語の入試問題の解答解説を書いたり、数学の「教科書ガイド」の校閲をしたりという、思い描いていた「ライター」とはあまり関係ないような仕事も受けるようになった。
生活のためには、塾講師のアルバイトも続けるしかなかった。

なんだかパッとしない日々。
周りの友達はみんな普通に就職したし、そうでなければ大学院に行ったり結婚したりしている。
私だけが何もない。
国立大学まで出てやっていることがこれかと悶々とし、酒を飲み、いつしか自暴自棄な生活を送るようになっていた。

そんなある日、突然、本当に突然、「このままじゃダメだ!」と思い立ち、本屋へ走った。
教室の先生の言葉を思い出したのだ。
世の中の人は私のことを知らない。私の存在を知ってもらわなければ。

求人雑誌の「とらばーゆ」を買い、何か書く仕事がないか、ページをめくっていった。
そこで出会ったのが1行のコピーだった。

ちょっと出張行ってくる

見た瞬間、ドキドキした。
出張に行く様子の女性の写真に、このコピー。求人内容は某企業の社内報制作の編集・ライターの募集だった。
店舗をチェーン展開している企業なので、「全国の店舗をつなぐ社内報を作ってほしい」とのこと。
ラッキーなことに「未経験OK」の一文も付いている。
これだ!と思った。

ただ問題は1点。「正社員募集」とある。
私は絶対にフリーランスでやりたい。それをなんとか理解してもらおうと、そのことも書き加え、履歴書を送った。

後日、「試験・面接の案内」が届き、その当日を迎えた。
会場には女性ばかり。50人はいただろうか。

進行役の男性が試験内容を発表する。
「これから当社の社長が、当社の経営理念や社訓について話します。みなさんはそれを聞いて文章にまとめてください。それが試験です」

すぐに社長らしき男性が現れ、話し始めた。
「企業の考え方」というものに触れたことがなかった私にとって、その話は衝撃的だった。
店は何のためにあるのか、なぜチェーン展開するのか、なぜ経営理念が大事なのか、なぜこのような社訓があるのか、人はどう働くべきなのか。
メモをとりながら何度も泣きそうになった。震えが止まらなかった。こんな素晴らしい会社が存在するのかと思った。
自分は何一つ「社会」のことを知らないし、知ろうともしてこなかった……。そんな未熟でひとりよがりな自分にも気づいた。

この感動を言葉にすれば絶対良いものが書けるとは思ったが、単にまとめただけでは目につかないだろうと思った。
「そうだ、新聞記事風に書いてみよう」
まだ新聞記事は書いたことがなかったが、まるで記者が社長にインタビューをして書いたように、私は「記事」にした。

その後、面接があったが、「フリーランスでの契約をご希望なんですよね。うちはそういうスタイルは望んでいないので、すみません」とはっきり断られた。そりゃ、そうだ。

それでも私は満足していた。
いい話を聞けた。いい記事が書けた。なんて、なんて楽しい時間だったんだろう。
人の想いを書くって、なんて素敵なんだろう。
もっといろんな企業のことを知りたい。いろんな人の想いを書きたい。もっと勉強しよう、また頑張ろう。そう思いながら帰った。久しぶりに清々しい気持ちだった。

だから、数日後、「あなたのフリーランスという要望をのみますので、うちに来てください」と電話がかかってきた時は、うれしいというよりも驚きのほうが強かった。
興奮している私に、担当者は「他のスタッフとの顔合わせがあるから来てください」と日時を告げた。

そして、後日。顔合わせの日、会社の会議室に行くと、新入りは私が一番乗りで、社長だけが座っていた。
社長は私を見るとこう言った。
「あなたのフリーという条件をのんだのはね、あの日、50人以上が試験を受けたけど、あなたの文章がピカイチやったから」

私は「ありがとうございます」と、深く頭を下げながら、目の奥が熱くなるのをこらえるのに必死だった。

この時、「まだ書いていていいんだよ」と神様に許された気がした。
それが何よりも嬉しかったのだ。
私は、まだ、書くことをあきらめなくていいんだと、そのことにホッとしていた。

これが、私が生まれて初めて自分の力で「書く仕事」を得た時の話だ。

ちなみに、この日からちょうど10年間、フリー契約で社内報制作の仕事をさせてもらった。
並行して新たなクライアントとも関係を築き、新聞や雑誌、フリーペーパー、WEBサイト、パンフレットなど、仕事の幅も広がっていった。

気づけばライターになって25年。
ありがたいことに、何年やってもこの仕事は面白い。魅力がずっと褪せない。これが私の天職なんだと思う。

そして、取材相手やクライアント、読者に、自分が書いたものを喜んでもらえると、今でもあの時と同じようにホッとする。何者かに許された気持ちになる。
私は、まだ、書いていていいんだ、と。

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