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体に穴をあける行為。

アニメや漫画でもピアスはとても魅力的に映る。ピアスをしてなさそうな人が意外な場所に開けていたり、本当はすごくたくさんつけていたり。

僕にも彼らが魅力的に見えなかったわけじゃない。少なくとも僕がピアスを開けたきっかけとなったのは、とあるモデルさんをTwitterで見つけたことからだ。性別も色白の肌も性格も似合う髪色も全く違う人だったけれど、彼女のつけるたくさんのピアスがとても魅力的だった。
尖っていたり、二つの穴を貫通していたり、想像しただけで痛い場所に開けていたり。
当時の僕としては反社会的になりたいっていう若者特有の感情の表れだったのかもしれないけれど、それでも良かった。
それにピアスを空けることでアイデンティティを確立するとかなんかかっこよかった。全く理解できていないけれど。

大学に進んで半年くらいして、ピアスを初めて開けた。
僕もそのモデルのように魅力的になりたかったし、ただ1人の自分を確立したかったのかもしれない。自分は自分だとわかってはいたけれど、それを信じていなかった。
初めてだしせっかくならと思って、軟骨に開けた。周りの人から一目置かれたかった。「痛くなかった?」とか「めっちゃ意外...」とか言われるたびに少しずつ承認欲求に似たものが満たされる感じがしていた。自分では知らないふりをしていたけれど、ちょっといい気になっていたと思う。

でもバイトを始めるのを機に閉じてしまったり、その後やめた後にまた開けたり、で、3回くらい開けたり閉じたりを繰り返している。

今は5月に一箇所開けて、一昨日二箇所目を開けた。ちょっと腫れてる。

僕にとってのピアスを開ける行為は自傷行為のイメージに近いと思っている。
理由は3つあって

1つは上に書いたように承認欲求の現れ。
注目して欲しいとか、気にかけて欲しいとか。リストカットをする人の性格がそう言われるように(いわばメンヘラ?)。自分の内面に価値を見出せないから、せめて外側に傷をつけることで自分を自分たらしめていく。一見おかしな行為に見えるけれど全くおかしくない。
「私はここにいる」っていうことを自分で認められないから、他者の中に住むしかない。他者の目を通してしか自分を見ることができない。自分を直視したら、きっと1週間は寝込んでしまう。そう思っている。
僕がそうだから。

2つ目は毒を以て毒を制する行為。
悪人を滅ぼすために他の悪人を使うように。心の痛みを物理的な痛みで中和している。でもこれって別にピアスに限ったことじゃない。ピアスっていうアクセサリーが絡むから別物にされがちだけれど、きっと根っこは似ている気がする。
心の痛みって原因がわかっていても、それを改善させるのは結構難しい。根気と勇気と体力もいる。それに自分がその問題に触れることで、悪化させてしまわないか心配になる。それならいっそのこと触れずにいて自然消滅させてしまってもいいんじゃないかって思ってしまう。
もちろんその問題が自分の心の中で燻り続けることはわかっている。でもそれと対峙する勇気はない。せめてもの抵抗だった。きっとその物理的痛みがなければ、心は張り裂けてしまう。人間が宇宙空間において生身で生活できないように。

3つ目は単純に痛みが心地よいから。
2つ目と似ているけれど、その痛みに酔いしれることで、現状の問題から遠ざかることができる気がする。お酒に似ているのではないだろうか。

3つの理由を挙げたけれど、共通して感じ取れるのは逃げているということ。自分の問題から目を背けているということ。
自分の内面を見てあげられない、見たくない。という思いを肯定してしまう行為なのだと思う。でもそうしないと収まりがつかないし、リストカットなんかよりはまだマシだと思う。あれは半袖着れなくなっちゃうから。

僕は、自分の内面に向き合う勇気もないし、そもそもどうすれば自分と向き合うことができるのか、何を持って自分と向き合っている状態なのかわからない。初対面の人と対面にした時みたいに、自分と対面しても何を話しかけていいのかわからない。自分を認識している時その自分は他人であるとどっかの哲学者が言っていた気もする。それに誰しも他人の目を通しての自分を見てしまう。基準なんてどこにでもある。あの人にとっての優しさが、別の人では当たり前になる。

生きるのは難しい。

ここに書いたことは自分に当てはまることで、他の人に当てはまるとは思わないので悪しからず。少なくとも僕がピアスを開けるのは、こういう理由でってこと。
だから多分、心が大丈夫になったら、ピアスを増やすことはないだろうと思う。逆にダメになったら増えるかもしれない。でも増やしたくないと思えるくらい、僕は僕を捨てていない。

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