見出し画像

池袋西口のビル群の谷間に「顔の見えるコミュニティ」を創出 先祖から受け継いだ土地を「地域に開かれた資産」として活用 深野弘之さん〈前編〉

 7/20放送は、「ニシイケバレイ」オーナー、深野弘之さんの前編でした。
 
 池袋西口のビル群の中に、カフェ、コワーキングスペース、和食レストラン、シェアキッチン、レジデンスなどから成る緑豊かな一帯が広がっています。
 元禄時代から続く深野家の第17代目当主として土地を受け継いだ深野弘之さんは、この地を「ニシイケバレイ」と名づけ、大家業を営んでいます。
 前編では、「ささやかでも顔の見える関係が、街の良き未来を育む」と考える深野さんが、大家の立場でまちづくりに取り組んだきっかけなどをうかがいました。

先祖から受け継いだ土地を地域に開かれたコミュニティに

 池袋駅西口から徒歩約7分、立教通りの一本裏手に、私が先祖から受け継いだ約3000平方メートルの敷地があります。2020年頃、この一帯に「ニシイケバレイ」と名づけたコミュニティをつくりました。築約78年の平屋と私道を残しつつ3棟の共同住宅を改築。敷地全体をたっぷりの植物で取り囲み、緑豊かな空間にしつらえました。中心に位置する平屋の一角に佇んで空を見上げると、まるでビルの谷間にいるような感覚になり、都会の喧騒から離れほっと一息つくことができます。バレイは「谷」という意味なので、西池袋のビルの谷間ということで、ニシイケバレイと命名しました。
 
 私は、深野家第17代当主にあたるのですが、始祖は元禄の時代まで遡ります。祖父の話では先祖代々、地主や大家業を営んでいたそうです。幼い頃から「お前も家業を継ぐんだぞ」と言われていましたが、地主や大家とはどういう仕事なのか子どもには全く想像ができず、興味もわかなかったのが本音でした。そのため、大学卒業後は当時興味があったオーガニックや農産物に関する仕事に就き、親に何も言わずにオーストラリアに1年行ってしまったりもしていました。
 
 祖父は7人兄弟だったのですが、相続が発生すると土地が7等分され、広かった土地がぐっとシュリンクしてしまいました。その後父が亡くなり、母と私と妹の3人が相続することになったのですが、皆仲が良かったため「ここは分割せず一体として活かそう」というコンセンサスをとることができました。そして当主の私が土地建物を相続し、ニシイケバレイとして地域のみなさんに使ってもらえるような場所にしようと考えたのです。
 
 私がこの土地を相続する前は、敷地の中に共同住宅が立っていて、それぞれが塀で囲まれていました。私道も暗く、夜になると女性はあまり通りたくないような場所だったのです。すぐ近くに立教通りがあり、ほとんどの人がそちらを歩くため、この一帯は存在すら知られていませんでした。もともとあった植物も針葉樹が多く、夏も冬も雰囲気が変わらず暗かったのですが、私が当主になり完全に開発を主導できる立場になってからは、季節の移ろいを感じられる落葉樹に変えています。また建物も開放的にしたいと思い、囲っていた塀をどんどん取り払ったところ、想像以上に素敵な空間になりました。2020年にニシイケバレイとして再スタートを切ったわけですが、この4年間で、ますますいい雰囲気になっています。

土地建物を所有する大家だからこそできること―新しい街の雰囲気をつくりだす

 ニシイケバレイの開発に際しては、いろいろな方に相談しました。特に10年ほど前から、住人の皆さんと楽しく関わりを持っている大家さんが豊島区界隈にいることが分かり、大きな刺激を受けました。街の雰囲気をつくるのは土地建物ですが、それを所有しているのは大家です。大家が自らの土地建物をどう活かすか、あるいはどう利用するかで街の雰囲気や人の流れも変わってくることに気が付き、「大家って結構楽しいな。やりがいがあるな」と、その可能性を再確認したのもこの頃でした。
 
 築約78年の平屋の1階に「Chanoma(チャノマ)」というカフェがあります。実は太平洋戦争の中で豊島区一帯を「城北大空襲」が襲い、もともとの屋敷は全部燃えてしまったそうです。戦後すぐに祖父が退職金のすべてをつぎ込んで建てたのがこの平屋で、祖父母の他界後は私と妻が長らく住んでいました。

 そこをニシイケバレイを象徴する場として、カフェに生まれ変わらせることに決めました。というのは、大家として今後の方向性を模索する中で、このエリアを街に開き、住民の皆さんと顔の見える関係や出会いのきっかけを増やしていきたいと考えていたため、いろいろな人が行き来して交わる場にしたかったのです。2021年のオープン以降、毎日大変多くの方に利用していただいています。
 
 Chanomaに隣接する木造2階建てのアパートも2021年に改築して、1階に和食屋さん、2階にはシェアキッチンとコワーキングスペースをつくりました。昔は閉じた住空間でしたが、今は街に開いた空間になっています。
 
 シェアキッチンは、曜日ごとに利用者を募って、月曜日はパン屋さん、火曜日は〇〇屋さんという形で営業しています。魅力的で美味しいものをその場で毎日作って提供してもらっていますが、本当に美味しいものばかりで、私自身もニシイケバレイ以外での買い物が減りました。
 
 1階の店には「わく別誂 寄り路処ふう」という和食屋さんに入ってもらいました。店主とは10年来の付き合いがありまして、彼も池袋の出身なのでニシイケバレイを一緒に盛り上げようと、一蓮托生のような感じでやっています。
 
 そして、ニシイケバレイの構成要素として欠かせないのが植物です。私はもともと緑が大好きで、平屋に住んでいた頃から我流で庭造りをやっていました。しかし8~9年前にある園芸家の方と出会っていろいろと話す中で、季節を感じることができ、作為のない、自然な風が通るような空間にしたいと思うようになりました。今はやりの「映える」植物やお花とは違うコンセプトのもと、少しずつ植物を植えて今の形になっています。

人々が交差するニシイケバレイで心地よく暮らす

 Chanomaではいろいろなイベントも行っています。かつては書道や狂言の稽古に使ったこともありますが、今定期的にやっているのは、茶道の稽古、ヨガ、瞑想、ライブなどです。ときどき単発のイベントとして麻雀教室やスナック、夏は怪談話をやったこともあります。選挙の前に20代ぐらいの若者を集めて政治の話をする会など、思いつくことはなんでもやっています。

 Chanomaは街に開こうと思いカフェにしたのですが、いわゆる古民家カフェとして本当にいい雰囲気の和の空間になった結果、お客さんの層はほとんど10代20代の女性です。それはそれでもちろんいいのですが、もっといろいろな年齢層の方がここに集まるきっかけを作りたいと考えています。そこで、カフェの時間には若い女性に来ていただいて、それ以外の時間は幅広い層に向けてある種の機会を提供するためのいろんなイベントを開催しています。
 
 ニシイケバレイの中には約100世帯の住人が住んでいて、単身よりは家族の方が多いのですが、開かれたコミュニティになったことにより挨拶が増えるなど、顔の見える関係が構築されたように思います。やはり100世帯もあると水のトラブルなどいろいろあるのですが、コミュニケーションがとりやすいので、何か起こった時に解決するスピードが早くなりました。それは大家として大変ありがたく、プラスの影響が出ているなと感じています。 

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉
 深野さんがやっておられることは、ソーシャルデザインの分野でいうと「コミュニティデザイン」だが、通常コミュニティデザインというと、何か新しいコンセプトで新たな場をつくることが多い。しかし、ニシイケバレイは古くからあるものを活かし、しかも物理的な空間にとどまらず、人と人/人と地域の関係性をデザインしており、コミュニティデザインのみならず、まさにソーシャルデザインの場になっていると言える。深野さんが元禄の時代から17代にわたって引き継いできた広大な土地を、収益を生み出すためだけの活用ではなく、地域社会に開かれた「資産」として活用された手腕は見事であった。現代の都会のど真ん中でこういった新たな挑戦が起こったことは大きな希望であり、今日も緑豊かで開放的なニシイケバレイで人々が癒しを得ていることをとても嬉しく思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?