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ふるさと兵庫でも歩行者通路を再生 色の力で人や地球を守りたい 植田志保さん〈後編〉

「おしゃべりラボ~しあわせSocial Design~」2024年5月4日の放送は、およそ100年前に作られた東京・池袋の地下通路「ウイロード」をアートのチカラで華やかに再生させた美術作家、植田志保さんの後編でした。

池袋に続き、ふるさとの道もアートのチカラで再生へ

 池袋の地下通路「ウイロード」の再生事業は2019年に終了しました。あれから5年ほどが経ちますが、改修前に比べて人通りも増え、明るく活気のある通路になっています。とりわけウイロードが素晴らしいのは、完成後にまちの皆さんが毎週2回、朝の9時半から12時近くまで自発的にお掃除をしてくださっているところです。実はウイロードの完成後、すぐコロナ禍に入ってしまったため、メンテナンスやお掃除などに不安を抱いていたのですが、地元の方々が「自分たちでここを守っていくんだ」と言ってくださいました。最初はおひとりから、その後2人になり、3人、4人と増えていって、今では「ゼファー池袋まちづくり」という池袋を愛する方々が立ち上げたNPOのメンバーを中心に、20名ほどの方々が活動してくださっています。
 
 私が「色のすること」と呼んで、色と色の出会いや人との対話の中から立ち現れる色で描画する制作活動を行うようになった背景には、幼少期に育った自然環境の影響があると感じています。
 出身地の兵庫県宍粟(しそう)市は県の中西部にあり、面積の90%が森林です。まわりを1000メートルほどの高い山々に囲まれていて、どこを見ても「緑と目が合う」「植物たちがいる」と感じますし、川や湖もあり、本当に自然豊かなところです。子どもの頃は自由に想像をめぐらせて、手や足を使い、身体全部で制限なく考えたり感じたりすることで、本当に「土風水」という大きな自然の中に自分の命が繋がっているような、広々と伸びやかな感覚が育まれました。
 実はその宍粟市への重要な玄関口となる中国自動車道山崎インターチェンジから高速バスの停留所へ通じる歩行者通路が、かつての池袋ウイロードと同じく老朽化し、「怖い、暗い、汚い」というイメージがついてしまっていました。そこで2021年に宍粟市役所の女性職員有志の方々が、この通路を誰もが安心して通ることができるようリニューアルさせたいと、市に提案したそうです。その中にたまたま池袋ウイロードをご覧になった方がおられて「こんなふうに活躍している女性がいるんですね」と作者を調べたところ、なんと宍粟市の出身だということが判明し、私のところに依頼が入ったのです。

地域に愛される歩行者通路「シソラミチ」の誕生

 ウイロードを1日に通られる方は3万人から4万人だったのですが、宍粟市は町全体の人口が3万人くらいです。したがって、まず人の気配のあり方がまったく違うため、池袋のときのような再生方法ではなく、宍粟市には宍粟市にしかできない方法を探りたいなと考えました。
 ウイロードのときは、事前にさまざまな方と対話をさせていただいて、大きな文脈の歴史を学ぶよりもその人にしかわからないような小さな思い出話をたくさん集めて、そこからインスピレーションを得ていきました。そうしてできあがったのが、「池袋の東西の巡りが良くなりますように」という意味を込めて、「陰陽五行説」になぞらえながら皆さんの思い出をはめ込み、トンネルの「血流」を良くする、命の循環を目指す、というイメージです。
 一方、宍粟市は人や自然のあり方がナチュラルで、あまり具体的にこういうことを目指したいとゴールを定めるより、自分の軸を持ちながらも、風にそよいだり、水のように凍ったり蒸発したりするイメージで、このプロジェクトを進めていきました。
 具体的には、まちの方から大切な言葉と大好きな植物を一つずつ募集して、それを歩行者通路の壁にまるでお花を咲かせるように、公開制作の形で描いていきました。まちの方々の声と自然の声を織りなすように制作を進めていくと、それが風景になっていくような感覚がありました。もともと風景そのものが素晴らしいまちなのですが、人の心と心が触れ合うと、それもまた風景になっていき、「この青色があるからこの黄緑が映えるよ」とか「この紫が見えるのは、このグレーのおかげだよ」というように、色の関わり合いがそのまま表現されていくような感覚でした。
 
 この道には名前がなかったのですが、みなさんに愛してもらうために名前をつけたいと思い全国から募集をしまして、地域のみなさんや道路事業を手掛けるNEXCO西日本さんにもご協力いただきながら審査を行いました。そして、宍粟市の「宍粟」と「空」を組み合わせた「シソラミチ」という愛称が決定しました。
 実は少し選考が難航したのですが、ちょうどその頃、地域のみなさんと一緒に通路へ行く機会がありました。親子連れの3歳くらいの女の子に「どの色が好き?」と聞いてみたら、パパッと走っていって迷いなく(空の色を指さして)「これが大好き大好き大好き!」と教えてくれたのです。その瞬間、「風景の名前がぴったりだな」と感じて「シソラミチ」という名が導かれました。
 私自身も久しぶりに地元へ帰って長い時間を過ごせたので、家族と食事をすることも多かったですし、4歳の私に固形水彩絵の具のパレットを与えてくれた母もこのプロジェクトを「面白いね」と言ってくれていました。

「色のすること」で世界の人や地球を守っていきたい

 これまでも海外での活動は行ってきたのですが、今後はさらに色々な国を訪れて、生活をしながらそこで芽生える色たちにますます出会っていきたいなと思っています。「色」というのは、想像以上に自分たちの心を作ってくれているので、まだ方法は見つけられていないのですが、例えばユニセフのように、人や地球を温かく見守っていくような活動に「色」で繋がっていけたらと考えています。
 人の目は1000万色の色を識別しているらしいのですが、実は皮膚でも色を感じているそうです。 肌で感じずにはいられない「色のチカラ」は本当に大きな可能性を持っているのです。

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉

 近年、空間のデザインと社会のデザインの相互乗り入れが非常に重要であると言い続けてきたが、植田さんのお話から、そこに「色彩」を加えて考えることの大切さに気づかされた。 あらためて考えてみると、人々の暮らしのウェルビーイングを思い浮かべたとき、「色彩」は様々な生活のシーンと密接に結びつく、とても大切な要素だと言える。これからは「空間と色彩と社会のデザイン」と言っていこうと思う。

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