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0173 【書く習慣days5】蛇の呪縛を解き放つ

某アニメ映画の、女ボス(?)のセリフ、好き。

それはさておき、本日のお題は「昔はどんな子どもだったのか」

思い出したくもないですな、というのが正直なところ。
子どものころに戻りたい、なんていうセリフは時折聞くけれども、私は億単位のお金を積まれたって、戻りたくない。

親から見たら不出来な子だったのだろう。
母は、親同士の会話などから仕入れた情報をもとに、いつもいつも比較され、怒られ、貶されていた記憶しかない。
失敗すれば、「あたしの子のくせに」
成功すれば、「あたしのおかげ」
「取りえない子」は怒られても仕方なかった。
それを得ようと努力もできないから、あげくの果ては人格否定の言葉をシャワーのように浴びていた。
父は、中学受験用のテキストを説かせ、分からないと私の座る椅子を蹴り、馬鹿にし、昼ごはん抜きになった。
泣いていても、誰も助けてくれなかった。ついには父は興味がなくなり、最終的には「あいつがなんとかするだろう」

そんな子ども。

ここずっとそんなことは忘れていたけれども、メンタル不調に伴うキャリア見直しをするにあたり、ライフチャートを作成した。
それで思い出したのだ。
家は息が詰まったな。
学校は競争で嫌いだったな。
人間関係がしんどいから、友人はほぼいない。
ただただお金を稼いで、家を出たかった。
優秀な子は、生きやすそう。優しい親って何それ。

残ったのは歪んだ承認欲求と、自己肯定感のなさだった。
「~でなければならない」という矢印は自分に向けられ、上限がない。

私ができて、他人ができないとこう思うのである。
「私ができることをできないあんたは、なんで社会にいるの?」

ひどいものだ、我ながら。
しかし親から「これができなければ社会に出られない」と言われ続けていたので、表向きは「大丈夫だよ、人にはできることとできないことがあるよ」と相手を慰めが、内心は親がやったようにして相手を蔑んでいたのである。

社会人になり、しばらくごまかせていた私のこの呪縛は、肩書がついて数年経ち、私のメンタルを緩く確実に、そして徐々にきつく締め上げて、大爆発を起こさせた。
ようやく、原因と対策をまとめ上げることができたので、苦痛でしかなかった子供時代の年月以上に残されているであろうこれからの日々を、安らかな日々としたい。

と、格好つけて書いている以外の、子どもの私といえば。

人間の死の過程に興味があって、戦争や毒物や病気などの本や番組を好んでみていた。

少年漫画、アニメが大好きな、今でいうオタクで、当時はオタクというのもは肩身が狭かったから、静かに深く楽しんでいた。好きなものは共有しないタイプである。
好きになるキャラはいつも悪役だ。
自分の意志を持ち、自分の力で目標に向かって道を切り開いていこうとするその姿に憧れたものだった(注:悪役の説明)
そして道半ばにして殺されたとき、一人涙するのである(注:対象は悪役である)

好きなものは大切に残しておいて、それ以外は全部さようなら、私。



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