0426 後悔は先には立たない…でも
ほぼ日手帳の言葉メモに「今後始められなくなることはあるけれど、始めたらいつだってやめられる」というものがあり、自分でも改めて模写をした。
始めておけばよかった、という後悔は誰しもしたことがあるだろう。
特に具合が悪くなって、もう二度と…なんてことなどあるあるだ。
私の性格として、「ひとまずやってみよう」とすることろがある。
上記の言葉に似たようなものを、子どものころ新聞で見つけたのだ。
それは、定年まで滅私奉公で働き続け、退職したらあれをしよう、これをしようと思っていたのに、会社を退職したとたんにがんを患い、何一つできないまま亡くなった男性の記事だ。
子ども心に衝撃的だった。
そして、当時から戦争ものや毒物、病気など、人の生死にかかわることを読むのを好んでいたこともあり、「死んだら終わり」と思っていたので、
「今まで我慢して、さぁこれからと言う時に何もできずに死んじゃったら、人生って何なの」
と怖くなってしまった。
それから、「まずやってみよう」となったわけである。
親も何となくそれを感じてか、止ても無駄だと思って何も言わず、夜に夫婦会議をしていたあれやこれがあるようだ。(詳細は知らない)
だが、やってみようが高じて、とにかく詰め込みすぎ、体がついてこなくなった。
始めてみてたものの、やめ方が分からずにバーンアウトしてしまった。
若い頃とは違うので、何でもかんでもできないのだが、そして、肩書があるゆえに、何でもやれるのであるが、無理なのである。
例えていうなら、戦いの終え方が分からない、というようなイメージだ。
やってみるなら、テキトーに。
しんどいならいったんやめる。
カンニング竹山の、「全部遊びだから」「楽しいと思えるように」を念頭に置いたうえでの、やってみるに切り替えないと、それこそ終わってしまいかねない。
なんて書いているのだが、言い聞かせている側面もある。
仕事が急に増えてきて、これをこなすと「できるんだ」と思われて、また増える、この繰り返しをずっとしてきて、昨年春にメンタルをやってしまった。
これがまた再び起きそうなのだ。
テキトーよ、テキトー。
やってもいいけど、バランスよ。
要注意の夏である。
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