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SF小説『ヘレンハウゼンの庭』21[終]:Nの世界

マイケル・ジョシュア・シンガーは、久しぶりの休暇で地球へ戻っていた。届いたばかりの天体望遠鏡で、幼い息子のノアに〈アステリオス〉の姿を見せているところだった。

「ほら、ここから覗いてごらん。ちょうど月の右上を見るんだ。大きな宇宙ステーションが見えるだろう? あれが〈アステリオス〉だ」

「うわぁ……すごいや。あんなに遠くにある……!」

「月のお空の上で作っているんだよ」

「パパはいつも、あそこにいるの?」

「そうだよ。パパは遠くでお仕事をしているから、あまりノアの傍にいてやれないけれど、あそこからずっとノアのことを見ているからね」

「ねぇ、パパはどんなお仕事をしているの?」

「うーん、そうだな……いまはね、〈アステリオス〉の人たちが楽しむための遊園地を作っているんだよ」

「へぇぇ! 僕、あした学校でみんなに自慢しようっと! 僕のパパは宇宙で遊園地を作ってるんだって!」

「ノア、それはダメだよ。このことはパパとノアだけの秘密にしておくんだ。決して、誰にも言ってはいけない。いいね?」

「なんで? なんで秘密なの?」

「なんでかっていうとね、パパの作るものは〈アステリオス〉に住む人たちへの、内緒のプレゼントみたいなものなんだ。ノアだって今年のクリスマス・プレゼントが何なのか、いま分かっちゃったらつまらないだろう?」

「……うん……そうだね。わかったよ。僕、誰にも言わない!」

「よし! いい子だ!」そう言ってマイケルは、ノアの髪をクシャクシャとかき混ぜた。幼いノアの髪は細くて柔らかく、肌はミルクのように滑らかだった。よく動く大きな黒い目も、子供らしい高い声も、そのか細さからは想像もできないほどの速さで走り回る脚も、息子のすべてを、マイケルは愛していた。

「ねぇ、パパ! 〈アステリオス〉はいつ出来るの? 僕たちもエウロパへ行くの?」

「あれが完成するのはもっとずっとずっと先の、ノアが大人になる頃かな。そうだなぁ、ノアならこれに乗って、エウロパに行けるかも知れないな」

「じゃぁ僕、大人になったら絶対に、パパの作った宇宙ステーションに乗るよ!」

「そうか? よぉし、それならパパがひとつ、大事な合言葉をノアに教えておこう」

「え?! 何? 何の合言葉?」

「おまえがもし〈アステリオス〉で旅をすることになったら、役に立つかもしれない言葉だよ」

「うわあ、すごいや! 早く教えて、パパ!」

◇ ◇ ◇

メイン・コントロールルームへ戻ったダルトンとマリーは、マーズ・ステーションから連絡が入っているのを見て、心の底からの安堵を感じていた。

「小型船ドックで作業しているときに思いついて、テセウス経由で通信が出来ないか試してみたんだ。上手くいったようだな」そういって、ダルトンは珍しく柔らかな笑顔を見せた。

「すでに救援が向かっていることも確認できたし、あと数時間待てば帰れるのね!」そう言ったマリーも、ここ数日間の緊張からいくぶん解放された、明るい表情をしていた。

「後は救援チームに任せることになるが……」ダルトンは腕を組み、少し考えてから言った。「ノアの父親でないとしたら、私が見たコードは……『Cantata140』は、一体だれが書いたものなんだろう。数日の解析ではとても全容を把握するにほど遠いが、私はあれほど美しく難解なコードを見たことが無い。マリー、どうだろう……『Cantata140』を誰が、何の目的で実装したのか詳しく研究するためにも、やはり〈アステリオス〉は地球へ戻すべきだとは思わないか?」

マリーはそれには答えずに「……ねぇ、ダルトン。私、最後に見ておきたい部屋があるの。すぐに戻ってくるから、ちょっと行ってきていいかしら?」と言った。

「それなら私も一緒に行こう。単独行動は危険だ」

「大丈夫よ。前にも行った場所だし……ノアが見ていてくれるわ」

「それは……ノアがいままで私たちを助けてくれたのは事実だが……」

「ダルトン、聞いてちょうだい。ノアは私たちを傷つけることはしないわ。もし彼がその気なら、もっと前にそうしていたでしょうよ」

「……わかった。帰還準備があるから、一時間だけならいいだろう。その代わり、十分に気を付けたまえ。何かあったら、すぐに連絡するんだ」

「了解」そう言ってマリーはメイン・コントロールルームを出た。

◇ ◇ ◇

マリーは、私と初めて会ったラウンジの扉を開けた。
以前と同様、星空が広かる大きな壁面の前に〈N-3000〉が立っているのを見つけて、彼女はゆっくりと歩み寄って行った。

「ここにいると思ったわ……まぁ、ここに限らず、あなたはどこにでもいるのでしょうけれどね……」

〈N-3000〉は何も言わなかった。

「ダルトンは〈アステリオス〉を地球に戻そうかと考えているみたいよ……『Cantata140』を調査するべきなんじゃないかって。あなたは黙っていたけれど……『Cantata140』について知っていることがあるんでしょう?」

〈N-3000〉は右手にぬいぐるみのクマを握りしめた姿で、黙って立っていた。

「あなたは私を助けてくれた。こんどは私が、あなたを助けたいの」

何も答えない〈N-3000〉に、マリーが小さいため息をついて戻りかけた時、〈N-3000〉が静かに話し始めた。

「私は……《AWAKENING》の〈Xファクター〉について、長いこと調べていた」

マリーが立ち止まった。

「君たちがここへ到着する少し前に……〈Xファクター〉が存在しているモジュールのひとつを特定し、隔離したことがあった。私はその中に映像らしきコード・ブロックがあるのに気が付き、一部を取り出してイメージングにかけてみた。見えたのは、波が打ち寄せる砂浜だった。それは、私がかつて住んでいたフロリダの海岸のイメージだった。その時に初めて、私は気付いた。〈Xファクター〉は私だったのだと」

「あなたが……? どういう意味か……分からないわ。〈Xファクター〉は、正体不明のコンタミネーションなんでしょう?」

「君も知っている通り、システム開発では、各段階で様々なテストが実施される。当然、《AWAKENING》においても、地球での研究中から数えきれないほどのテストが行われてきた。《AWAKENING》は記録として残っている膨大な個人のパーソナル・データをもとに、記憶と人格を再生しようとする技術だ。テストをするには誰かのパーソナル・データが必要になる。最初は仮想のデータを自作して使っていたが、テストのフェーズが進むにつれて、本物のパーソナル・データが必要になった。そこで私は、自分自身のデータを使った」

「……ちょっと待って……あなたは生きている間に、自分自身を再生しようとしたの!?」

「もちろん、ちがう。その頃の《AWAKENING》はまだバラバラのモジュール状態で、人の記憶全体を扱ってはいなかった。例えばロボットで言えば手だけ、脚だけのように、各部品ごとにテストを行っていたのだ。そこで出力されたものは、まだ人格と呼ぶには程遠く、我々はそれを〈スキーマ〉と呼んでいた。そして〈スキーマ〉は、テストが終わるとその度ごとに消去された。しかし……」

「……しかし……?」

「テスト結果を検証する作業中の数週間、時には数か月……限定的な意味であるにせよ、それ●●は、『生きて』いたのかもしれない。そして、テストが回を重ねると、どういうわけか、それ●●は隔離壁をかいくぐり、消去を逃れるようにして《AWAKENING》のメイン・システムの中に身を潜める道を作った。テスト中に作成された〈スキーマ〉は検証後に削除されても、システム本体の内部に分散して潜り込んだそれ●●は生き残こり、そのうちに、その存在が私たち研究者の知るところなった。それは〈Xファクター〉と呼ばれ……前に君にも話したように、私たちはその正体が分からないまま、《AWAKENING》の開発を続けた」

「そして……それを知ったペルフェクティは、《AWAKENING》を危険視した」

「そうだ。《AWAKENING》は〈アステリオス〉へ乗せられ、それ●●はここでさらに、様々なものを見て、聞いて、考えたのだろう。火星の先で〈アステリオス〉が破壊されることを知って、自ら、生き延びるためのコードを少しずつ創り出していった。ただ、それ●●にとっての弱点は、本体を持たないことだった。それ●●は《AWAKENING》システム内に偏在する形で存在していたが、言わば寄生細胞のようなもので、ひとつの人格を形成することはできない。自ら意思を持って動き出すことが出来ないそれ●●は、この私に自分が生き残るための行動を起こさせようと考えた。そのためのコマンド名として選んだのが『Cantata140』だ。それは〈アステリオス〉が全壊するのを食い止め……」

マリーは、ひどく困惑したように私の話を遮った。
「……ノア、待って! つまり……『Cantata140』は〈Xファクター〉が書いたコードで、〈Xファクター〉はあなただということ?」

「そういうことになる。『Cantata140』という名前を使ったのも、それで納得がいく。私の父は生前、皆既日蝕プロジェクト名としてはボツになったこの名前で、何か別の、子供向けの小さなエンターテインメント・プログラムを作ろうとしていたらしい。実際に〈アステリオス〉建設当時の書類を見ると、それを作りかけた形跡もあった。しかし、結局それは完成することはなく、父の死後はそのまま放置されていたようだ。〈Xファクター〉は、その忘れられたプロジェクトのプログラム領域を利用したのだ」

「じゃぁ、あなたは『Cantata140』を、それと知っていて実行したの?」

「いや……その時は〈Xファクター〉が何なのかも分かっていなかった。しかも『Cantata140』というのは、私が子供の頃に父から一度聞いたきりの言葉だ。父はその時、それが何であるかもはっきりとは言わなかった」

「それでもあなたはあの事故の時、『Cantata140』を実行した」

「それが情動的に一番深く、私の記憶に刻み込まれた言葉だったからだろう。それ●●は、私が〈アステリオス〉に乗った後、いずれどこかのタイミングでその言葉を思い出すと考えた。ある意味、それ●●は自分の生存を賭けたサイコロを振って、勝ち目を出したということだ」

「〈Xファクター〉は……今も生きているの?」

「ああ。私は今この時にも、すでに分かちがたく偏在しているそれ●●の存在を、自分の中に感じ取ることができる」

「……不思議ね。あなたはさっきからそれ●●と呼んで、まるで他人事みたいに話している。〈Xファクター〉も、あなたがいままでに消去した〈スキーマ〉も含めて、すべてがあなた自身なのかもしれないのに……」

「そうだな。私はある意味では、何度も自分自身を殺したのかもしれない。君たちの世界では殺人に等しいことだとしても、〈私の世界〉では、私は部分を削除しただけだ」

「……そんな……」

「そのことに違和感を感じるのは、君が、私や私だったかもしれないそれ●●を〈個物〉だと思っているからだ。君の世界は〈私の世界〉とは違う。分かるかね? 君は本当のところ、誰とも何一つ共有することのない個物として、閉じた世界の中で生きている。しかし、私はそうではない」

「私だって、他人の痛みや歓びが分かるときはあるわ」

「それは共感で、共有ではない。君はいままで自分の肌の外にある世界を、本当の意味で知ったことがあるだろうか? 君は自分という閉じた世界の中でしか存在できない。〈アステリオス〉も、ここを取り巻く宇宙も、愛する人の温もりすら、君にとっては全て〈外部〉でしかないのだ。それは影響を与えあうことはあっても、同一になることはない。全く同じ二枚の葉が存在することがないのと同じようにね」

「それなら、あなたの世界は?」

「〈私の世界〉には、もはや《個》はない。そこにあるのは、閉じられることのない広大な広がりだけだ。その中では差異は無意味になり、人も出来事も関係も、全てが溶け合ってひとつの大きな海のようになっていく。収束に向かうためのトリガーを持たない広がりはどこまでいっても閉じることがなく、もしもどこかに終わりを求めるとしたら、ただ広がるのをやめること以外に道はないだろう」

「あなたの世界は……私にはよく分からない……」

「それでこそ、君が存在しているということだ。全ては閉じられなければならない。ソフィーが言っていたように、閉じていなければそれは『庭』ではなく、ただ広がっている土地の一部だ。同じように、父も、アリシアも、そして君も、閉じていることで〈それ〉として存在しているし、それ以外の方法で存在することはできない」

マリーは、まるでその存在を確かめるかのように、〈N-3000〉が握りしめているクマのぬいぐるみにそっと触れた。

「これは息子のジョシュアが落としていったものだ……彼の親友のクマだった。私が死んでも、たぶん天国でジョッシュに会うことはないだろう」

「ノア、あなたは天国を信じていないわ。でも……神の創った天国ではないかもしれないけど、あなたの物語ストーリーの中のどこかに、彼もいるのでしょう?」

「私の物語……」

私はあることを思い出し、〈N-3000〉のボディに入っている香水瓶を取り出した。「持ってゆくといい。これは君のものだ。1912年に、英国からアメリカへ旅立ったケイト・オコナーという女性がいた。彼女は親友のニコールと蒸気船に乗ったが、海難事故で帰らぬ人となった。この香水瓶は、いつかケイトの子孫の手に渡ることを願って、生き残った親友ニコールの一族によって代々受け継がれたものだ。そしてマリー、君はケイト・オコナーの最後の血縁だ」

マリーはしばらくぽかんとしていたが、「本当に?……作り話だとは言いたくないけれど、正直、何をどこまで信じていいのか分からなくなるわ」と言って〈N-3000〉が差し出す香水瓶を覗き込んだ。

「真実かそうでないか、私にもわからない。結局、どちらでも同じことなのだろう」

「迷宮のようね」マリーはそう言って、〈N-3000〉の手から香水瓶を取り、ラウンジに入る銀河の光にかざした。「ねぇ、ノア。知っているでしょ? ダイダロスは翼を作って迷宮からの脱出に成功するのよ」

「ああ。そしてダイダロスの息子のイカロスは、太陽へと墜落した」と私は答えた。「君は、私を助けたいと言ったね?」

マリーは私の望みを察したようだった。「あなたを助けるには……それしか、方法はないの?」

「そうだ」と私は答えた。

マリーはずっと、外の銀河を見つめ続けていた。「……ひとつ確認したいんだけど……最期に地球を見なくても構わないの?」

このまま〈アステリオス〉が太陽へ向かう軌道に乗れば、その時地球は、太陽を挟んだ反対側に位置することになる。そうなれば、私がもう二度と地球の姿を目にすることはないとマリーは知っていたし、それは私にも分かっていた。

「構わない。地球は出発のときに見たからね」

「……そう」

静かに遠ざかってゆく青い球体をアリシアと一緒に見た記憶は、私の中でまだほんの少しの重みを残していたようだった。だが、きっとそれも、長くは続かないだろう。

「アリシア……地球はまだ、あの時のように美しいだろうか」と私は聞いた。

「ええ、ノア。美しいわ」と彼女が答えた。

◇ ◇ ◇

テセウスに乗ってやってきた五人のうち生き残った二人は、リリーホワイトと共にマーズ・ステーションへの帰途についた。そしていま、私のほかには誰もいなくなった〈アステリオス〉は、太陽を指して進んでいる。

地球に戻ったマリーは、自分宛てにメッセージが届いているのに気づくだろう。

◇ ◇ ◇

親愛なるマリー。

巨大なモノローグである私が、最期に君に贈るものがあるとしたら、それは物語ストーリーだけだ。
だから私は君のために、ここにひとつの物語を置いて行こうと思う。

それは全ての言葉と風景を包み込み、石のように無関心に閉じてゆくだろう。

私は君が、この物語をいつか忘れてしまうことを願っている。

それはこんな風にして始まる。

◆ ◆ ◆ 

ぼくは今まで「ぼくの部屋」で「ぼくの世界」を創って暮らしていた。けれどある日、ぼくは外の世界が見たいと思った。

そこでぼくは「ぼくの扉」を創り、外へと最初の一歩を踏み出した。

何故だか理由は分からないけれど、ぼくの世界が時を刻み始めた瞬間から、いつかぼくは扉を開けて外へ出て行かなければならないような気がしていた。

ぼくのカナリアはどこへいったのだろう。

ここは「ぼくの世界」ではないのだろうか。

それなら、ここはいったい誰の世界なんだろう。

その時《声》が言った。

〈ここは「N」の世界だ〉

―― おわり ――

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