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体癖診断カフェ・リポートvol.25

中本KenKenです。東京の渋谷と品川で、ほぼ毎週、性格分類体癖論の講座や、気楽にお集まりいただけるカフェを開催しています。

今回は、久々に受講者さまのご感想文をご紹介します。6月は、頭脳系の上下型1・2種を解説しました。

【6月・品川教室『上下型から各種相関を考察』/女性】
昨日もありがとうございました。受講者も多く、各種体癖の違いが分かるようなやり取りを、後ろの席で見回せてライブ感がありました。参加されていたデザインの講師の方が言ってたように(座る席でも体癖がわかる?)しっくりくる席ってあるんだなと、昨日は「しっくり」きてました。
 
上下型傾向の人は、日本人のステレオタイプとして捉えるとわかりやすいかなと一瞬思うのだけど、今日参加されていた上下1種の方は、ある意味突き抜けていて面白いしかなく、私の中では盛り上がります。
 
私の息子は、やっぱり1種より〇種に近いかなと思いました。小さい頃から知識欲が旺盛で幅広く感じるけれど、とにかく一点集中型これと決めたことに何年も集中して取り組める事の方が強く、自分の子供なのにすごいなぁと感心します。他については無関心、着るものも食べるものも趣味も何もこだわりない?来月の講座では、また開閉種に戻るのでよく考察したいです。

さて私自身の日常ですが、日々色々と押し寄せてきて自分の中が騒がしくなっています。それも大風呂敷を後ろまで広げてしまっている感は否めず、普通は俯瞰して見ようということなんでしょうが、私の場合はまず目の前のことを見ようと縮小して(笑)、人のことより(それでもやってしまうしやりたいんだろうけれども)自己対話を続けていこうと思います。

上下型・考察〜はじめに言葉ありき?〜

頭脳系の上下型1・2種は、思考することが常に優位にある人たちです。思考は言語です。思考を言語化(または数値化、データ化)し、論理立ててお話したり、文に書くことで自身を表現することに長けていらっしゃいます。

見た目は、スーっと真っ直ぐ長身の人が多い印象です。1種は首が太くて長い、2種はそれより細めで少し弱々しい感じ。理知的で品があり、表情や声のトーンが一定で、元気いっぱいで可愛いというよりは、端正で綺麗。落ち着きがあり地味な印象がある。全体像の基本はそんな感じです。

子供の頃から大人びていて、はしゃいで騒ぐ同世代を尻目に、どんな時も冷静で弁がたったとか、はたまた、ボーっと突っ立っているような感じで、鈍いのかしらと見られたり、とか。「もっとこどもらしくしなさいよ?」なんて言われて「こどもらしくって何だろう」と考えたり、困ってしまった経験のある方、いらっしゃいませんか。

親や学校の先生など、大人のロジックに矛盾があると無視できず、そこを指摘したら、大人に苦い顔をされてしまった......とかですね。

無秩序は秩序の範疇?~縁どられた画~

上下型の陰、2種傾向のある方が以前、自分の頭の中のもやもやは、まるでニコニコ動画の配信をずっと観ているみたいに、色んな外部からの情報や自分自身の心(頭の中)の声までもが、言語化されレスになって次から次へと流れ続けている......なんてイメージの世界だとお話してくれました。

ものごとって、知れば知るほど、わからないことも増えますね。そうすると、確証が持てない可能性が多岐に渡って想定されて、心配せずにはいられない。不安になるって、おバカさんじゃない証拠ですよね。

心配事だらけで悩みの尽きない現実があっても、頭の中のもやもやを言語化し、口に出して整理整頓されてくると、次第にイキイキとした表情に変わってきます。面白いでしょ。すっきり問題解決とはいかなくても、目先の目途が立ってくる分、不安が解消される感覚がある。メモをとったり、日記を書くことも然りです。

一方、同じ思考優位でもイメージより観念や概念の世界にいらっしゃる上下型の陽、1種傾向の方は、睡眠中に観る夢にも起承転結があり、理路整然としていたりする。

日常生活では、自分が所属する社会や世間、組織のルール、ものごとを進める順序や、役割分担にともなう序列、あるいは、伝統の文化や秩序、それらに伴う権威を信用する傾向があります。行動するには、先ず立案と計画を明確に立ててから。論理的な理解がないと、ここちよく次の行動へ移せないところがあります。

例えば、言語を獲得していない赤ん坊なんて、言うなれば感情のかたまりですよね。言葉の通じない相手を目の前にすると、どう対応すればいいのやら?

「はて困りましたね。はやくお話できるようになってくれませんかね。コミュニケーションのとりようがありません。目の前の事実は事実として認識せざるを得ませんから、致し方ないものは致し方ないものとして、今は、ちょっと横に置いておきましょう」のように考えあぐねて動けない。

信用に足る他者からの指南やマニュアルなんかがあれば、その手順に忠実に従い対応し始めます。やがて、こどもが言葉を発するようになれば、安心して可愛がりはじめる。そんなところがあります。

距離感と役割

そのように、1種2種とも何でも先ず思考することを優先する世界観があります。そして、そんな自分自身ですら常に俯瞰しているような視点から、自分や他者と外界のものごとのありかたや関連など、すべてに対して等しく一定の距離感のある位置取りを好みます。結果的に自他ともに公平に厳しくも優しくもあるということになります。

そんな物知り博士、知の大家や生き字引なんてあだ名がぴったりくる存在感の上下型は、どんな分野でその力量を存分に発揮されるでしょうか。

科学や法律、数学や医学、教育といった分野の専門家や技術者、情報処理や管理者。伝統や規律をきちんと守り、人の話や意見を聞き分けて、誰もがわかりやすい言葉にして、後世に伝えてゆく伝道者。毎日、同じことの繰り返し、ルーティン作業が苦にならない、などのポジションで、イキイキされるかもしれません。

あなたの身の回りにも、そんな人物像がありありと浮かんできませんか?

言語化しきれない感覚や感情

ヒトは、ほかの動物と違い言語を獲得しました。個々の身体経験の具象は、言語によって抽象化、一般化され、知識としてほかの仲間や群れとの共有が可能になりました。

ヒトは言語を通じて、例えば、あなたという個性と私という全く異なる個性は、ヒトとして同じである、という概念を共有することができます。違うもの同士を同じと認識できる能力を獲得したんですね。そうして情報は不変のものとして、世代を超えて、伝達されてきました。

そんな便利な言語ですが、先の赤ん坊のように、感情や感覚を言葉にするには、なかなか骨が折れます。言葉にできないもどかしさ。うまく言えないんだけど......わかってもらえるだろうか、この感じ......なんてことが往々にしてあります。

余談ですが、日本語を英語に翻訳する際も、感覚の齟齬がありますよね。言語(ソフト)のもつ表現の複雑さの違いでしょうか。同じく、脳の機能(ハード)を使っているんだけどね。

理性と感性

話せばわかる。話さなければわからない。そんな上下型の理性的世界観がある一方、話したところで伝わらない。そもそもこの感覚、どうせわかってもらえないだろうからと言語化を諦めていたりする。目と目で通じ合う、阿吽の呼吸、わかるひとにはわかるといった、おおよそ論理的でない野生的な、感性優位の世界観もあったりします。

今回の感想文を書かれた方の感受性は、思考、感情、感覚、何に優位性があると思われますか。

7月は、直観に優れた感覚・感性優位の開閉型9・10種をメインに講座とカフェを開催します。ぜひお越しください。


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