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鷺行美さんからの応援記事に感謝|アモールとプシュケー

 noter鷺行美さんが、応援記事を書いて下さいました(^∇^)

 あまりにうれしかったので、自分のページに残しておきたくなって・・・引用&ご紹介の許可をいただいたので、わーいヾ(^▽^ )ノ



 〈6〉は、いちばん手をかけて仕上げた章なので、そこに注目してくださったのは、書き手としてなんともうれしいことでした。


 記事の中で、「愛の神であるアモールのほうが迷いに流されているように見えます。」と、いみじくも読み取ってくださって。

 たしかに、そうですよね🤔

 炯眼・・・💕




 この章で、プシュケーはたぶん、人間の代表として、図らずも神様側の代表となったアモールと、ちょっとした一騎打ちをしているのかなと思うのです。


 古代からずっと、人間は神的な存在に、壮大なる片想いをしているのかな、と、時々そんなことを思います。
 特に信仰をお持ちの方のお話しを伺っていると、「神様から*特別に*愛されたい」というひそかな願いを持ってらっしゃる方がいて。たしかに、神様というのは一夫多妻制?というか「みんなの神様」として存在を規定されていますから、深く心を捧げた人ほど、無意識のやりきれなさが募るように見えます。文学で言うと、ジッド『狭き門』などもそうですね。
 心の中のいちばんきれいな想いを捧げ続けているわけなので、お気持ちはよく分かります。(私は信仰心が極めて薄いので、第三者として見ているだけなのですが・・・💦)


 プシュケーには、そういった人間の側の「言い分」を神様にぶつける役割も背負ってもらっていて、まさに「人間の代表」なのです。

 で、それをちゃんと受けとめようとしてくれる神様をギリシャ神話界で見渡してみると、やっぱりアプレイウスが書いた、若々しく真面目でちょっと頼りないクピードが適任のように思われます。

 ただ、プシュケーにとっては、ぶつける相手がたとえばペルセフォネーやハデスだったら話はもう少し単純だったのでしょうが、自分が現に恋(愛)しているアモールと渡り合わなければならないところが、やっかいだったのではないかなあ・・・と、書きながら思ったのでした。


 ・・・というわけで、日々悩みながら生きている人間と、のんびり暮らしている神様方が、いざ膝を詰めて話し合うと、短命の人間の方が意外に精神年齢が高く、神様の方が振り回される(?)ところがあるのかもしれません。



 なんだか脱線してしまいましたが・・・本筋の、お礼の続きです(^^)/

 このフレーズが印象的でした、という感想をいただくと、励みにもなり、現状を把握するよすがにもなるので、とてもありがたいものです。

 そして、この物語は、2年半ほどかけて読んだ本、つまり、古来からいろんな人が考えて引き継いできた思考の遺産を受けてつくったもの、という要素が強いので、そこを受け取ってくださったことに、うれしさも喜びもひとしおです。

(それで、本編の掲載が終わったのに、後夜祭みたいにあとがきや設定資料的なものを書いてはnoteに格納しています(^^ゞ)

 鷺行美さん、あらためて、どうもありがとうございました(◍•ᴗ•◍)✧*。


Sir William Beechey, R.A:
Portrait of Charlotte Earle Beechey, the artist's daughter, as Psyche (19c)  





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