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8月6日、慰霊の日①|原爆供養塔慰霊行事に参列して

8月6日を迎えました。
今年はふたつの行事に誘われたため、読みやすさを考えて、記事を分割することにしました。②か③まで続く計画です。


8月6日の平和公園。ふだんは敢えて行かないようにしています。というのも、私は広島で生まれ育ちましたが、血縁者が被爆したというわけではないため、この日ばかりは立ち入ってはいけないように思うからです。

ですが、今年は、ふだん月に一度通っている勉強会の折に、牧師さまが、「私も教職キリスト教聖職者の列に並びますので、よかったら」とアナウンスされたので、参列させていただくことにしました。

式は6時台でしたので、この写真のタイムスタンプは5:54。
でも、平和公園にはたくさんの人が慰霊のために訪れていました。


原爆供養塔。
氏名不詳や一家全滅などで引き取り手のない遺骨を供養するために作られました。土盛りの中に納骨堂があります。
『原爆供養塔  忘れられた遺骨の70年』の著者、堀川惠子さんによると、この原爆供養塔は"最も大切な場所"とのことです。
祭壇

《原爆供養塔合同慰霊祭》

1946(昭和21)年以後、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教・宗派合同の供養慰霊祭が営まれています。また毎月6日には、関係者により例祭がとり行われています。

広島市HP(後掲)より


牧師さまの説明によると、被爆当時、宗教の垣根なく、助け合って救護などをしたことから始まった慰霊祭。
引き取り手のない遺骨ですから、供養をするひともおらず、代わりに各派で集まって供養をしているようで、お焼香なども行われていました。

今年は、神道とキリスト教(カトリック、プロテスタント、聖公会)。仏教は急遽欠席とのことでした。

神道は、祝詞のりとというのでしょうか、神様に申し請う言葉の中に、当時の凄惨な状況、人々が受けた肉体的苦痛、精神的苦痛をかなり具体的に述べ、「私たちはあなた方の苦しみを知っています」と死者に伝えた上で安かれと祈る内容でした。キリスト教のほうは、過去に起点を置きつつも、未来に向けて平和を希う内容でした。

キリスト教のことしかよくわからないので、そちらを取り上げます。
マタイ伝11:28-30と、「平和を求める祈り」を読み上げ、参列者とともに讃美歌「いつくしみ深き友なるイエスは」を歌いました。

神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

平和を求める祈り






明け方、原爆ドームの前を通ると、シュプレヒコールを上げている人たちがいました。アメリカの責任を追及するべきだ、とか、拉致被害者を取り返せないのは某国や周辺国が核兵器を持っているからだ、などを述べておられます。

みなさまも、広島の平和記念式典のテレビ中継をご覧になるときに、首相のスピーチの折などに、遠くの方で拡声器を使って何かを主張している人たちの声が背景に入るのをお聞きになったことがあるかもしれません。

慰霊の日ではあっても、実は毎年、かなり騒がしくもある平和公園なのです。市内にはおまわりさんの姿が散見され、原爆ドームのあたりでは、ずらりと並んでいる姿が見えます。

原爆供養塔のあたりまで来ると、あたりはひっそりと静かになりました。

神道やキリスト教の慰霊のことばを聞いていると、その中にも立ち位置の違いが感じられます。平和記念式典におけるメッセージを含め、この日に平和公園で聞かれる大小すべての言説について、良し悪しを述べるつもりはありませんが、様々な意見や意図の飛び交う平和公園にいると、思いをひとつにして核を廃絶し、恒久平和を願うというのは、なんと難しいことだろう、と、あらためて思わされるのでした。


原爆ドーム前の慰霊碑



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