逍遥中につき│日記
しばらく更新頻度が下がりそうなので、お知らせにやって参りました。
いま、短編を書いていて、とりあえず第一稿(ラフ画みたいなものです)が仕上がるまで、その他一切を放り出して没入しています。
(世の中にこれほど心躍る時間はありません♪)
ある日、広島駅構内のエスカレーターに乗っていたときに、急に、頭の中にどなたか女性が現れて、こんなことがあったの、想いが遂げられなかったの・・・と、駆け込み寺かなにかみたいにすごい勢いで独り語りを始めるわけですよ。
で、二、三日くらい間歇的にやってきて、あれこれ話していくので・・・「わかりました、それを書いて成仏させてほしいわけですね」
(初めは「詩を書いたらいいのかな?」と思ったけれど、どうやらそれではお気持ちが癒えないようでした。)
不思議というかおもしろいのが、いざ書き始めると、ぱたりと来訪が止むところ。物語の中にすっかり定位置を見つけられたようで、なによりです(-人-)
時代背景もわからないし、お相手の方についてはほぼ教えてもらえなかったので、うーん・・・と困っていたのですが。
そういえば、私がいわゆる文学の《のれん》を本格的にくぐったきっかけは、デュマ・フィスの「椿姫」でした。
中学生の頃、クラスメイトが、スタンダール「赤と黒」を図書室で手に取っているのを目撃したのが遠因。こちらはまだまだ児童文学や英国ファンタジー界隈をうろうろしていたので、図書室でも立つべき棚が違います。文学だよフランスだよ・・・大人っぽくてかっこいいなあ・・・と憧れつつ。
時は巡って高校生の頃に、タイトル買い(?)で「椿姫」を手に取ったのでした。
このヒロインは、あのあたりからやってきたのかなあ・・・
お名前も、時代も場所も特にご希望がなかったので、じゃあ、せっかく詳しく調べるなら、と、最近の流れで19世紀フランスにさせてもらいました。
(同じ内容でも、現代日本を舞台にしたら、ほぼ何も調べなくてもサクサク書けてしまうのに・・・と、ため息をつきながら)
お相手の男性も、私の方は白紙の状態でスマホのメモ帳アプリに向かうわけですが、女性の第一声を受けて、勝手にしゃべり始めてくれたので、ああよかった・・・と書記を務めました。
並行して、調べもの開始です。
まずは、登場人物の名前決めのために、フランス人の代表的な姓と名をあたります。
美術や音楽、文学の偉大なるクリエイターたちを調べれば調べるほど、私の好きなあれもこれも、なぜか全部19世紀フランスに集中していて、驚きのあまり倒れそうになりながら(笑)、現在も調べ物を進めています。
調べた事柄の十分の一も文字にはなりませんが・・・
要するに、国家戦略なのですね。数世紀前(?)に、「芸術立国」を掲げた宰相か誰かがいて、継続できるようなシステム(美術アカデミー)を拵えたのです。それがしっかりと花開いた、ということみたいです。「美において誇り高い」とは、アフロディーテの枕詞なのですが、仏蘭西はヴィーナスの版図なのかもしれませんね。
ブグロー、カバネル、モロー、エンネル、エベール。たとえばこういった方々はみんなこの時代で、しかも、前4者は同じ教授のお弟子さん。当然のように、そのお師匠さんの絵もやっぱり好みだったり。
捜査線上に浮かび上がったエミール・ゾラ「制作」も、そういえば読んだことがありました!(たいていなんでも忘れて"無意識領域"に格納しているので、いろんなことが新鮮です笑)
ボードレールが1845・1846年のサロン(公的な展覧会、官展)について美術批評を書いているのですが、1845年にローマ賞(パリ国立高等美術学校の奨学金コンクール)の《歴史画》部門で次席を飾ったのが、私の好きな画家のひとり、アレクサンドル・カバネルなんですよーヽ(´▽`)/
そのとき、グランプリに選ばれたのは、フランソワ=レオン・べヌヴィルさんという方でした。ふたりあわせてご紹介します。(ごめんねカバネル(-人-))
この年のお題は、"Jésus dans le prétoire"。プレトワールは"法廷"なので、「法廷内のイエス」・・・おそらく、裁判に引き出されて磔刑を言い渡されるイエス・キリストの図だと思います。
なお、エコール・デ・ボザール、ローマ賞、サロンは基本的には三位一体らしいので、ローマ賞を獲ったべヌヴィルもカバネルも、ボードレールに批評を書かれていてもいいはずなのですが、『1845年のサロン』をざっと読んでもテキスト検索しても出てこず、詳細はよくわかりませんでした。(ただ、風景画セクションにコローが取り上げられていました。ほめられてました〜✨️ヽ(´▽`)/✨️)
にわかに聴きたくなったサン=サーンス(序奏とロンドカプリチオーソ、ヴァイオリンはグリュミオーじゃないと不可です)も、まさにその時空の人でした。そして、改めて、デュマ・フィスも。
ふむ・・・私の19世紀フランス趣味の端緒は、「椿姫」・・・。
「椿姫」はオペラもバレエも好きですが、やはり原作が一番好きで、「恋する男は、恋人のお墓を掘り返すのか・・・ロマンスの極み♡」なんて思っていた高校時代でした(笑)
そんなわけで、初めての海外旅行のお目当てのひとつが、モデルとなった高級娼婦、マリー・デュプレシのお墓にお花を供えることでした。結局、旅程の都合で、行ってみたらモンマルトル墓地の閉園日だったため、未だに果たせずじまいです。(いまだったら、モンパルナスもモンマルトルも、花束抱えて巡礼みたいに霊園内を周回することになりそうですが・・・)
それにしても、「椿姫」登場人物の名前、アルマン・デュヴァル/Armand Duvalとマルグリット・ゴーティエ/Marguerite Gautierを改めて眺めると、どうしても、ジャンヌ・デュヴァル/Jeanne Duval(ボードレールの恋人) とテオフィル・ゴーティエ/Théophile Gautier(同時代の著名な詩人)を思い浮かべずにはいられません。たぶん、デュマ・フィス氏はこのふたりを知っていそうに思うのですよ🤔 少なくとも、ゴーティエの美麗な世界は、きっとデュマ・フィスの好みだろうと思います。
19世紀フランスは、ナポレオンに始まりパリコミューン、第三共和政まで、王政、帝政、共和政が目まぐるしく入れ替わる時期なのですね。何に信を置けばいいのかわからないままの人も多かったであろう1世紀。世界史の授業では、古代文明と文化芸術の回以外は興味がなかったので、今更のようにざっと流れを把握しようとしています。(だって、歴史って政争や戦争ばかりなんだもん。)
そして、歴史やたくさんの芸術家たちを時系列で感覚的に把握しようとするときに、ボードレール(1821-67)の年齢に換算すると、すごく分かりやすいんです♡
シャルル少年6歳・・・20代前半に「悪の華」執筆、36歳で出版だから、この出来事はそれより前で・・・この人の生まれ年は、ボードレール暦でいうと紀元前4年か・・・みたいに。アヴァン悪の華、ポスト悪の華、パリの憂鬱はこのあたりで・・・ああ、もう病勢が進んだ頃ですね・・・😢
ものさしになる人がいるのはほんとうにありがたいです!
ちなみに、0〜27歳まで王政、31歳まで共和政、以降帝政(ナポレオン3世)。「悪の華」執筆はおおむね王政期、出版は36歳ですから帝政期。30代前半から後半にかけては、第三帝政の基盤強化期間のため言論統制も厳しくなり、散文詩(『パリの憂鬱』収録)を書いた40代以降は、帝政維持期のため緩くなっていったという時代背景もありました。
19歳頃までが、100余年続いた第一次産業革命期。32歳から晩年まで、オスマンによるパリの大改造が行われており、不衛生でごみごみして人口過密(1人あたりの専有面積10㎡)、コレラなども流行した都市が、近代化されていきました。変わり続ける社会の中で、「パリの憂鬱」が生まれたわけですね🤔
(たとえば1832年には、コレラの流行のために官展が延期されたりも。)
これだけ激変した時代ですから、ボードレールの目は充分に外界や社会に向けられていました。
それに比べて、現代日本の私たちはのんびりした生涯を送れそうだなと思いますが、インターネットの発達やAIあたりは現代史でも大きな転換なのかもしれませんね🤔
YouTubeのオススメ画面に、パリ・オリンピック開会式のセリーヌ・ディオン「愛の讃歌」(エディット・ピアフ原曲)が現れました!
AmazonでもiTunesストアでも、いつの間にか解禁になったようです。Amazon prime music で聞いていますが、iTunesでも購入しておきました♪(一票を投じるために)
ついに、公式に聞けるようになったので、浴びるほど聞いてます〜泣きながら(T-T)
誰しも、程度の差こそあれ、忘れがたい経験を一度くらいはしたことがあって、そういった「この世の終わり」を生き抜いてきたのだと思います🤔
そして、「さようなら」は、言われるよりも言う方がはるかにしんどいですから・・・二度と恋愛に巻き込まれまいと思うのはその時です。
聞くところによると、薬物からの離脱症状は失恋並みに苦しいそうですので・・・それを聞いただけでも、薬物はまず無理! ですね。
エディット・ピアフのすばらしさも、改めてヽ(´▽`)/
↓ちなみに私は、シャンソンでいうと、こちらかな?
一人で鬱々と未練がましいタイプ・・・(^^ゞ
秋に似合う名曲ですね。
それでは皆さま、お元気でお過ごし下さいね(^^)/