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自分のために今日も生きてる

吐き気のするようなnoteを読んだ。

タイトルには、「あなたへの愛だけで今日も生きてる」と書いてある。途中まではeye.という人間がnoteから離れていたあいだどんなことを考えて何をしていたか、が綴られていたのだが、終盤になると、恋心を抱く相手への執着ともとれるような強すぎる愛が、揺るぎのない信念とともに繰り広げられ、私はそれ以上見ていられなくなった。

ところで、前述のnoteを書いたのは紛れもなく私だ。
今このnoteを読んでくださっている人の中には、「やっぱり同一人物だよな」「自分で書いたnoteなのに吐き気がするの?」と思っている人もいるかもしれない。

…そりゃ吐き気するよ。
1年半も経てばさ。

この1年半の間に、いろいろなことがあった。区切りはあまりよくないが、久しぶりに書きたくなったので、書けるときに書いておくことにする。(幸いにも今日は3連休の初日。)

まず、思い描いていた未来なんてものはありません。ないんだ。ないったらない。

だからこそ冒頭で「吐き気がする」と書いた。

でも、「吐き気がする」と当時の自分が書いたnoteに向かって言えるくらいには、今の自分は正常に近づいたと思う(たぶん)。

だってどう見ても痛々しいでしょ。
当時の自分も書きながら少なからずそう思っている部分はあったけど、それでも信じたかった。絶対大丈夫、と。大丈夫ではなかったけど。

「大丈夫ではない」といえば、昨年大学院2年に進級した私は本当に酷かった。
遠く離れた東京という地にいる相手を自分から離さないよう必死だったし、自分も相手同様東京で暮らせるように就職活動にも力を入れていた。ここまではまだよかった。
しかし、それなりの努力を重ねて臨んでも上手くいかない就活、心の距離が離れていく相手…諸々の要因が重なり、メンタルクリニックにも通った。当時は母親に「あんた、躁うつなんじゃないの?」と言われたほどだ(自分でもあまりのテンションの落差には自覚があった)。

躁うつなんじゃないの?とは言われつつ、相手がいることも親に伝えていなかった私は、内緒でメンタルクリニックに通い、そこでもらった薬を自室でこっそり口にする日々を送った。
クリニックの先生によるカウンセリングと薬の効果があってか、就活を無事に終え、相手に「振られ」てもなんとか、死なずに、今まで生きることができている。(もちろん、話を聞いてくれた友人たちの存在も大きく、今はクリニックに通うことも、薬を飲むこともなくなった。本当に感謝しかない。)

で、結局お前は今何をしているんだ、と思われるかもしれない。

私は今、東京のWeb関係の会社で専門職として働いている。デザイナーではないけど。

東京に来て思うことは、やはり変わらず地元で暮らしたい、ということだ。別に地元が嫌いで東京に来たわけではないし、むしろ地元>>>>東京、くらいの差で地元のことを愛している。
なら何故東京に、それは全くもってその通りである。

というのも、相手は今私の地元に再度戻って暮らしているらしい。(はっきり言って意味がわからない。) 相手の地元ではない、たかだか4年暮らしただけの土地に戻ってこないでほしい。あれだけ東京の方が仕事があるだのなんだの言っていたくせに。

おっと、口が滑ったようで、少し言いすぎたかもしれない。まあいいか。
とにもかくにも、私はまちを歩くたびにどこかで相手に会うかもしれないなどと考えたくないのだ。正直、その思いはかなり強かった。
だから、それはもう大層多くの懸念事項はあるものの、仕方なく東京で暮らし、働くことにした。暮らしながら、楽しいこともあるにはあるものの、暮らしやすくはないな、といつも思っている。(東京批判のようになりすぎていて良くない)

東京で暮らすということは、必然的に1人暮らしになるということだ。
その点、昨年までの人に依存しがちな自分とは対照的に、自立に近づくことができているとは思う。もう私は、人に依存したくないのだ。ある意味依存は宗教的で、不幸しか生まれないことがよくわかったから。

あと3ヶ月もすれば、2022年が終わる。
今年1年を振り返るときに、昨年までの自分と比べて成長できた、と自信を持って言えるように、この先も自分を大事に、生きていこうと思う。

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