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リズムとは何か?その3

リズムについてです。前回19世紀後半にアメリカのニューオリンズのコンゴ広場で黒人が強烈なリズムと奇妙なダンスをしているところで終わった。黒人はどこから来たのだろうか?

「略奪の海 カリブ」という新書と外務省のホームページをちょっとだけ参考にした。黒人奴隷貿易の話です。三角だか四角だかの貿易の話。

まず黒人奴隷をどこから運んできたのか?送り元を確認する。アフリカからの奴隷供給の能力を持っていたのはポルトガル人だった。1518年の話だ。

西アフリカやアンゴラ地方の黒人奴隷カリブ海へ移送したらしい。

アンゴラ地方ってなんだ?
外務省のページを見るしかない。どうもアンゴラ共和国という国がある。アフリカ大陸の西側を北から見て地中海→サハラ砂漠(でっぱったとこの上)→西アフリカ(でっぱったとこの下)→アンゴラ地方(へこんだとこ)となる感じだ。なのでアンゴラ地方はコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、アンゴラあたりとしておこう。前回「コンゴ広場」という記述もあったことだし。

ちなみにアンゴラ共和国の外務省基礎データを見ると1483年にはポルトガル人が到着してそのまま海岸地方を支配したらしい。
石油のアフリカで有数の産出国だという。農作物はフェイジョン豆、サイザル麻とある。なんだこれ?
フェイジョンはポルトガル語で豆のこと。インゲン豆らしい。
サイザル麻は多分よくスタバに写真のあるコーヒー豆の袋。実際見たことないが。スタバで「サイザルの香りがするな」と一言つぶやけば一目置かれる存在になれるかもしれない。

そして奴隷の送り先のカリブ海の闇は深い。夢の国でカリブの海賊と言ってうかれている場合ではない。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、トリニダード、コロンビア。この辺の歴史を語れるほどの知識はない。ただこの辺りに一回アフリカからの黒人が置かれたらしい。1600年代以降。一言でいえば「いろいろあった時代」かつ「カリブでは何が起こってもおかしくない時代」ということだろう。

最後にこれだけは言いたい。
プエルトリコはプエル・トリコと言いがちだがプエルト・リコ(美しい港)だ。

おしマイケル。

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