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すき間の季節

 新緑の渡し場に白鳥が一羽、所在なさげに浮かんでいます

 朝の涼やかな光が集まって出来たような真っ白い羽は、
あたりの空気まで明るくしているようでした

 まっとうな冬鳥であれば、とっくにシベリアに渡って、皆で子育てしている時分ですから、岸辺に住まうものたちは、皆で揃ってけげんそうに、彼の様子を眺めます

「ほら、子どもも育てずに、のんきなものだね」
岸の野茨たちがこそこそさわさわ、噂します

白鳥は、聞こえたようでも聞こえないようでもありましたが、ただただ、岸から伸びる柔らかい桑の若葉を、黄色い嘴でいとおしそうにつついているのでした

野茨たちもそのうち飽きて、昨日生まれた子雲雀の話をし始めました

「こんなところで、そんな立派ななりをして、いったい全体どうしたことか
 ひとりぽっちで、おいてきぼりで、よほど肩身も狭かろう」
川原に住んでいる雉の爺さんがケンケン話し掛けてきます

白鳥は、長い首を大きく回して、声の方に傾けて、ゆっくり静かに微笑みました

雉はびっくりしたような、少し照れたようなふうで、茂みに走り込み、すぐに見えなくなりました

誰もいなくなったのをたしかめてから、白鳥はすこしだけ、ため息をつきました

どうして、こんなことに、なってしまったのか
白鳥にも、ほんとうのところは、わからないのです

「挟まってしまったんだね、『すき間の季節』に」

「すき間の季節?」

白鳥は声の主を探しましたが、姿を見つけることはできません

白鳥は見えない声に話しかけます
「私がどうして、ここに居るのか、これからどこにいくのか、
 どうしてこんなに、心が静かなのか、あなたは知っているのですか」

声は、ゆっくり答えます

「そこは、暑くも、寒くもない
明るくもないが、暗くもない
死にたいわけでもないが、生きているにはもの足りない
ひととおりすべて揃っているようで、なにもない
寂しくはないが、とても孤独だ
まるで落とし穴に落ちるように、ある日、すぽんとはまりこんでしまう
それが、すき間の季節だよ」

「わたしは、野茨たちの言うとおり、自分は、なんて役立たずなんだろうと、
かんがえたところで、どうしてよいやらわからないのです」

「すき間の季節にいる間は時々、そんな気持ちになる
なぜって、ここは、役に立っていたり、頼りにされていたりするやつのほうが、
うっかり挟まりやすいところだからさ」

「ここの景色はとても美しいのに、
見ているうちに悲しくなるのは、どうしてなんでしょう」

「すき間の季節から見える外の景色は、とても美しくて、
目も当てられないほどひどいものさ
自然の世界の正しさっていうのは、ときどき、ひどくあなたを傷つける」

それからしばらく、白鳥は色々なことを、声から教わりました

「すき間の季節は、途方もなく長いけれども、いっしゅんだ
すぐにでも飛び出したい気持ちなのに、ずっとずっと、そこに居たいと思うだろう
なぜなら案外、とても心地が良いからね」

「すき間の季節は、真っ白くて柔らかい、まるであなたの羽毛のよう
すき間の季節に挟まって、あてもなく、所在なく、そしてうっとり心地よく、
ひとり漂う白鳥たちが、何千羽も、何万羽も、世界には溢れているんだ」

「すき間の季節は、いつまでも続くようで、急に卒業の日が来るよ
卒業の日がきたら、必ずここを去らなければいけないものだ」

「すき間の季節を飛び立つことは、大抵とても怖いと感じるものさ
でも大丈夫、飛び立った世界は広く、優しく、美しい」

「なんでそんなことが分かるのかって?
そりゃあ、私が、すき間の季節に居たからさ」

風はそう言って、白鳥の周りを大きくひと巡りすると、どこか異国の歌を歌いながら、太平洋の方角へ吹いて行きました

もし、あなたに、これ以上一歩も歩けないほど、悲しく辛いことがあったら、
この先にある、古い古い、舟着き場に行ってみてください

そっと岸辺の草に腰を下ろして、目を閉じて、耳を済ますと、
すき間の季節を行き来する
風の話が聴けるかもしれません

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