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山の登り方

この挿絵を一番に載せておいて、

私は、今はやりの山ガールです♡


...と言いたいためのnoteでもない。そもそも私は山ガールでもない。

あなたなら、山があるとして、どう登りますか?
ということだ。

何を言っているかわからないと思う。

もし目の前に課題であったり、越えねばならない苦しい状況であったり、病気であったり、が立ちはだかった時に、どうするか?
ということを話したいのだ。


人生の歩み方は人それぞれ。

どの登山道から登るのか。
どんな装備で登るのか。
誰と登るのか。

病気の治し方も人それぞれ。

薬を選ぶ。
西洋医学の治療を選ぶ、あるいは東洋医学の治療を選ぶ。
手術を選ぶ。

どれを選んだらこの苦境を乗り越えられるのか。
ついつい周りの意見も参考にしたくなる。

また、同じような山を登った経験があると、困っている人を助けたい気持ちから、ついこういう登り方が良かった、ここオススメです!と言ってしまうと思う。
完全な善意からだ。
でもそこが実は一番厄介で面倒な点だ。


自分にとって良かったことは、他人にとって良いとは限らない。

なぜなら、人それぞれ、似ている状況であっても微妙に違うものだし、
何より「何をもってその選んだ道を納得できるか」といった価値観が違うから。


私には稀有な持病がある。
症状が出始めて、不安で不安で同じ病気で苦しんで闘っている人を探した。
その方々といろんな情報を共有した。

そんな中で私にあった治療法を見つけた。
王道とされる治療法では、私の望む生活の質を下げてしまうことがわかっていた。
だからその王道を選ばなかった。
結果、私にあった治療法を選んだことにより、病気ともうまく付き合えるようになってきた。

その治療法の素晴らしさを知った。感じた。
だから勉強して、人にも猛烈にオススメしたくなった。

しかし、だんだんそれが行き過ぎると、王道の治療法の欠点と私の選んだ治療法の長所を比較して、王道の治療法はあんまり良くない、という思考回路に入ってしまった。
しかもそれを、同じ病気で困っている人にも伝えてオススメしたいとさえ思うようになった。

...医療従事者として全くもって恥ずかしい話なのであるが。

世の中には、いろんな健康法や考え方があり、なんなら自分の方法以外、考え以外は除外、追放、卑下する向きもある。
この方法はおかしい。
あの方法はダメ。

私はここまでは行かなかったかも知らないが、でも自分の経験だけからしか考えずに視野が狭まり、選んだ方法しか良さが見えなくなっていたのだ。

そんな時に、尊敬する年上の薬剤師から言われた言葉、

山をどんなルートでどんな順番で、装備で登って行くのかは人それぞれでしょう?
結局、いろんな治療法の良いところ悪いところを調べた上で、その人が納得した方法で治療すればいいのよ。
最終的に山に登れれば、病気が快方に向かえばいいわけなのだから。
その方法にどれだけ自分が納得できているか、なのよ。


今日のnoteの内容はその尊敬する年上の薬剤師からの受け売りになってしまっているが...。それでも私は身に染みてこの言葉を病気の治療の経験から実感している。
医療の場合には、安心安全が全ての基本であるという性質上、医療従事者としては、どんな道を選んでもOK!というわけにはいかず、もし患者さんがオカルトや根拠のない食品などのルートを選んだとしてもそれをお勧めすることはできないけれど。

人生でも同じこと。

だから他の人が選自分なら選ばない道を選んでも、批判したり卑下したりすることはおかしい。

そしてさらに病気の治療とは、場合によっては人生の道の選択も背負うことになる。

私自らの恥ずかしい経験があるからこそ、私がもし患者さんの治療法や生き方、過ごし方の選択を見守る時が来た時には、
医療従事者はその強い使命感から医学的に王道で正しいと思われることを無理やり押し通しがちであるが、その方が納得するということを第一に考えられるよう、姿勢は柔軟にしておきたい。

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