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怪しさや違和感と当たり前の狭間

仕事からの帰宅途中、建物に向かって何やらひたすらお辞儀をするサラリーマン風の人を発見。

もしや、なんか怪しい人では?

そっと近づいてみると、どうやらそのサラリーマンの人がいるところが建物の入り口で、インターホン越しに中の人と話していただけのようだった。
その建物には人の出入りがなかったため、サラリーマンはあたかも建物と会話しているのか?と自然に思ってしまうほどであった。

また通勤途中の駅構内。
前から歩いてくる人がいる。
リュックを背負って、普通に歩きながら、何やら大きな声で話している。

歌でも歌ってる?いや。電話してる?いや、耳にケータイを当ててない。

すれ違いざまにみると、耳にはイヤホンをして、ハンズフリー的な機能を使い、どこからかのマイクを使って誰かと通話をしていたようだった。

めっちゃ怪しい。

そのことを思い出させてくれたのは、この翠乃尚さんのつぶやき。

もしかしたら、家電や公衆電話ができたばかりの頃なんて、直接面と向かって人と人が話しているのでもなく、耳に何やら機械を当てがってたった一人で話している姿は、きっと怪しがられたに違いない。

でも一応手には電話の受話器を持っているということで、ああこの人は電話してるんだなぁという認識がされ、今やそれがおかしなことだなんて思われなくなった。

そしてどんどんと技術が進歩し、いよいよ人が何に向かって話しているのか、それとも独り言なのかすらもわからない状態になってきた。

辛うじて、電話をするという「仕草」で、見えない通話相手までをも想像して、セットで認識していたのに。

そのうち、もう人は人とではなく、機械やら、ロボットやら、モノと会話したり触れ合ったりすることも、変だとも思わなくなるのかもしれないなぁ。

ものすごい違和感は、そのうち当たり前で空気みたいな感じになってしまうのだろうか。

今大事に持っているモノの見方は、もしかしたらえらく脆いものかもしれない。

そして、怪しさや違和感と当たり前の事が、ほんの紙一重なことなのではないかと思った出来事だった。

#当たり前 #違和感 #怪しさ #認識 #価値観 #薬剤師 #つぶやき

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