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『太陽の子』(ネタバレします)

この話は、第二次世界大戦真っ只中、1人の科学者と彼を取り巻く人たちがそれぞれの想いを胸に、逞しく生きた、切なく繊細な話である。

今年の夏、この話は映画化されているが、昨年一度テレビ版が放映された。その時は戦争だったり化学だったり、ちょっと難しいイメージで、正直この話の深いところがわかっていなかった。

しかしこの小説では、修の人柄、裕之(弟)の存在、摂(幼馴染)への想い、母の強さなど一つ一つ丁寧に描かれていた。

実は劣等感があった修だが、叔母に実の子(弟)と分け隔てなく育てられ、自分のやりたい研究者の道を歩くこととなる。

戦争で物資がなくなる中、敵国に勝つために新しい兵器を作ることだけが科学者の最善の道だと考えていた。いや、勝ってまた幸せな日々を取り戻すために。家族が笑顔にあふれ、自分は思い通りの研究をするために。

戦争は、人のモノだけではなく、普通の感覚をも奪う。
《両親から受け継いだ大切な家を国のために潰されても文句も言わない。》

《お店の鍋、釜を奪われても何も言えない。仮にその戦争に勝ったとしてもお店を再開出来る目処がなくても。》

《窯業の釉薬を兵器を作る実験のために差し出したりすることも。》

《大切な子供であっても、命の危険にさらされる戦争へと明るく送り出したりすることも。》

戦争は普通のささやかな楽しみや、当たり前の権利も全て奪って、人の感覚をおかしくしてしまう。その中で、修が摂への淡い気持ちを飲み込んだり研究の目的に悩んだりする気持ちの揺らぎがとても繊細に表されている。

テレビ版をみたからか、読みながらそれぞれの俳優さんが本当に適役だったんだなと今更ながらうなづけた。

途中、いつもは明るく精悍な裕之が、戦争によって「死ぬ瞬間」を待つことが怖くなり、反対に周りの人がどんどん死んでいくなかにあって「生きていること」に罪悪感を感じることで入水自殺を図る。いっときの心の迷いだったかどうかはわからない。でも、その後にはまた落ち着いた裕之に戻る。

幼馴染の3人が「いっぱい未来の話をしよう。」といったとき、本当に「愛しくなるほどせつなく、かけがえのない時間」だったに違いない。

母親のフミも、この時代の強い女性の典型で、気丈に子供たちを育て、それぞれの決断を尊重し送り出している。
1人は戦争へ。
もう1人は原子爆弾が爆発したときの美しい光を見たい、後世にそのデータを伝えたいと考えた科学者を原爆投下されると言われていた比叡山へ。

ただ、決着がついた。日本は負けたのだ。

いま私たちはその後の日本で平和に過ごしている。何事もなかったかのように。
実際、今コロナ禍で世論とは逆行した政治が行われていたりする。それぞれ意見はあっても、小さな個体は大きな力に勝つことはなかなか難しい。
しかし、いつの時代も幸せになるために、大切な誰かを幸せにするために、人は一所懸命生きている。



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