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読み終わることのない本|斎藤真理子 【『第七の男』を読んで #3】

20世紀英国文学における孤高の“ストーリーテラー”ジョン・バージャーは、日本ではあまり知られていないものの、韓国では著作だけでなくその生き方まで、とりわけ広く愛されている。新自由主義の洗礼をいち早く受けた国において、バージャー作品はどのように受容されてきたのか。韓国で最も人気のある作品のひとつ『第七の男』(黒鳥社|2024年5月刊行)を読む体験とその重要性について、韓国文学ブームを牽引する翻訳家・斎藤真理子が綴る。

Cover Photo: アテネの街角。ギリシャ。『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024

* * *

一ページ読むために、何度も呼吸を整えなければならなかった。ごく短い一文にさえ、「これを本当に咀嚼するには何年もかかるんじゃないか」と思ってしまう。立ち止まらなければならない時間がとても長かった。『第七の男』は、読み終わるということのない本なのだと思う。

任意のページを開く。

移民は決意とともに、家でこさえた2、3日分の食事、誇り、胸のポケットに入れた写真、荷物、スーツケースを携えて旅立つ。

と書いてある。ここでもう、しばらく立ち止まらずにいられない。自分の中にある何かが大きく攪拌され、ゆっくりと流動し、やがて上澄みと沈殿のようなものに分かれる。上澄みと沈殿と、その両方の動きが止むまでじっと待たなくてはならない。

この文章の横には、「ドイツまでの旅程の説明を受けるトルコ移民」というキャプションのついた写真がある。80人内外の、服装も髪型もさまざまな人たちが、こっちを向いて写っている。彼らの外国での労働はまだ始まっていない。サングラスで表情が見えなかったり、帽子をかぶっていたり、いなかったり。その目はすべて私に向かって見開かれているようだ。

Photo by Hiroyuki Takenouchi

この写真の対向ページには、おそらく彼らの故郷のどこかで撮られた、石積みの塀の前に立つ女性の写真が配置されている。そして文章は次のように続く。

一方で、移住は他人の夢の中の出来事のようでもある。見知らぬ誰かの夢の中の人物として、彼は意図のないまま行動する。(中略)これは暗喩ではない。移民の意図は、自分も、自分が出会う誰もが気づかぬままに、歴史の要請によって浸食されている。だからこそ、人生がまるで誰かの夢のように感じられる。

これらの文字を目で追いながら、写真の中の大勢の人の目を見ていると、私は落ち着きをなくし、混乱し、これ以上この本の近くに座っていることさえできないような気がしてくる。

『第七の男』において、テキストと写真は必ずしもお互いを補完したり、説明したりしない。きわめて無造作に、ただそこに転がされたような写真もある。この無造作さがくせものなのだ。一ページに一冊以上の内容が凝縮していてとても読みきれないと感じる、しかし強い吸引力のために本を閉じることができない。

そうやってうろたえていると、写真とテキストの合間からときどき詩や箴言のようなものが滴り落ちてくる。例えば、移民労働者たちが見よう見まねで習得しなくてはならない仕事の中のさまざまな動作について書かれたくだりの<締め>に、こんな一文がある──

動作の中で、体は心を失う。

ここでまたしばらく立ち止まり、呼吸を整えずにいられない。この本を読んでいると何度となくそういう体験をする。絶えず自分の内部が攪拌され動揺させられる。おそらくこの本は、桁外れに生きている。

書かれているのは50年前のヨーロッパの移民のことだが、要は、資本主義のもとでの個人の尊厳に関する本だ。だから誰にとっても無縁ではない。読みはじめ、やがて「これはもしかしたら部分的には自分のことでは?」と思う。読みつづけると、バージャー自身がそう語っているところに行き着く。

彼の内面において起きたことは、移民労働者ではない何百万もの人びとの内面で起きたことでもある。

だが、それに続いて、こうも書いてある──

ただ彼の場合、それははるかに極端な形で起きる。

ボスニアの山道。『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


移民の人生は私のごく近くにもある。自分に似ているということ、だが決定的に違うということ。その両方が大事だ。

この本を読んでいく過程で、韓国でジョン・バージャーがいかに愛されているかを知った。韓国では小説や批評のほか、たくさんのエッセイ、画集、詩集、書簡集まで多彩な作品が翻訳されている。友人2人に「バージャーが好きですか? おすすめの本がありますか?」とメールで問い合わせたところ、2人ともすぐさま怒涛のような長文の返事を送ってくれたのには驚いた。その質問に答えることが嬉しいという様子だった。

2人が教えてくれたインターネットの記事などを読んでいくと、韓国ではバージャーの著作だけでなく、その人間性や、農業と執筆生活を両立させながら地域の人々と共存する生き方が愛されてきたことがおぼろげにわかってきた。

バージャーやレベッカ・ソルニットの翻訳を手がける翻訳者キム・ヒョヌは、バージャーについて「妥協なきマルクス主義者であると同時に、個人一人ひとりの経験を大切にする作家」と評する。バージャーの文章を読んで、「革命の言語は優しくあることも可能だ」ということを学んだ、という。

日本よりも早く新自由主義の洗礼を受けた韓国では、その後の世界を生きていくための尊敬すべき先達として、ジョン・バージャーの本が大切に読まれてきたのだと思う。『第七の男』の出版を契機に、日本でも今後、この作家のいろいろな本を読むことができたら嬉しい。

公民館で月に2回開催されるダンスに参加するスペイン人。ジュネーブ。
『第七の男』より
© JEAN MOHR, 1975/JEAN MOHR HEIRS, 2024


斎藤真理子|Mariko Saito
 1960年新潟市生。翻訳者、ライター。著書に『本の栞にぶら下がる』(岩波書店)『曇る眼鏡を拭きながら』(くぼたのぞみとの共著、集英社)『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)、訳書にハン・ガン『別れを告げない』(白水社)チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)パク・ミンギュ『カステラ』(共訳、クレイン)ほか多数。最新の著書は『隣の国の人々と出会う:韓国語と日本語のあいだ』(創元社)。

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Photo by Hiroyuki Takenouchi

『第七の男』
ISBN:978-4-910801-00-1
ジョン・バージャー(著)/ジャン・モア(写真)
金聖源、若林恵(翻訳)
造本・デザイン:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:黒鳥社
判型:A5変形/256P
定価:2800円+税

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