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個性とはどうやって生まれるのか

踊りをやっていて思うこと。この踊りは彼女にしかできないな。彼らしい舞台だったね。と、会話することがよくある。

心を掴んで離さない踊りというのは、もちろん突出した技術を目の当たりにした時ももちろんだけど、むしろ、ちょっと歪な個性が見えた時や、独創的な何かを見たときの方が強く心に残る。

そして、個性や独創性というのは、真逆のようだけど、自分の師匠やお手本など先人たちが作り上げたものを徹底的にコピー・複製した先に見えてくるような気がしている。

先人たちのオリジナルを真似して、完全にコピーをし尽くした先に、見えてくるもの。そこから生まれてくるものが、個性となるのではないだろうか。

そこまで費やした時間、正面から向き合った時間、嘆き苦しみもがいた時間、そこを超えたときにふと自分の中に湧いて出てくるもの。自分の内側に深く深く潜って、探求し尽くした先に見えてくるもの。

それが自分の血となり肉となり、アイデンティティとなり確立されていく。隠そうと思っても隠し切れずに漏れ出ていく。

振付や立ち居振る舞いの先に見えてくるその人の人生観や生き方、踊りへの向き合い方。それが個性として花開き、見るものを「はっ」とさせ、魅了していくのではないかと思う。

そして、そんなふうに個性がびんびんと立っているダンサーの踊りをみることが、これからも楽しみであり、私自身もその域に近づきたいと願っている。

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