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精神疾患を持つ人の「健康な自分」


絶対に完成しないパズル
一生列が揃わないビンゴ


仕事が好きだ、とても自信がある。
容姿もたーぶんそこまで悪くない。
頭も、めっちゃいいわけじゃなくけど、バカではない。

でも精神衛生は悪い。社会的に言えば「患者」でサブカルチャー的に言えば「メンヘラ」だ。

このせいで「仕事が好き」「容姿悪くない」「頭も大丈夫」と、今まで揃っていたピースがおじゃんになる。「患者」で「メンヘラ」じゃなければビンゴの一列が揃ったように、パズルのピースが埋まるように「いい感じの、水準を満たす大人」だったのに。

ずっとピースが埋まらない穴を見続ける人生だし、私と密に関わるであろう人間には、その「一生埋まらないかもしれない(ブラックホールみたいな吸引力付き)の穴」が私であるということを説明してわかってもらえないと、関われない。

じゃあ今まで揃ってきたピース達は?私じゃないのか?ハリボテ?

「私の全て=ポカンとしてしまった穴」なのか?
しかもその穴は「絶対に相手に理解されないといけないブツ」なのか?


揃ってきたピースで
勝負をしたいんだよそろそろ


「患者」で「メンヘラ」意外にも、自分を好きになるための、また相手から愛されるためのピースは揃えてきた。

テキパキ動けるようになったし、いろんな知識を蓄えて応用することもできる、感受性も豊かで相手との情動調律(心のチューニング)もできるようになってきた。この「私は生きるの大変だったけど、こんなヘルシーなピースをかき集めてきましたで!」という感じで人と関わると、案外スリップもスプリットもしない。

この感じ「ハウルの動く城」で出てくるソフィーと似ている。
サリヴァン先生に「戦争をやめろ」とソフィーが直談判するシーンだが、サリヴァン先生と話せば話すほど、ソフィーがどんどんどんどん若返る。

ソフィーが実は言葉の魔法使いで、自分の発した言葉によって呪いが解けていき、本来の姿に戻るという仮説があるらしいが、もしそうなのであれば、我々も同じようなことをしているかもしれない。

人と関わる場面で、言葉というツールを通し、自分のヘルシーな考えや感情などを共有していくと、自ずと呪いがゆっくり、でもするすると、解けていく。気がする。

(まぁぶっちゃけ、相手がサリヴァン先生ほどの実力者だったという要因も否めないけどな!)

こういうことを繰り返していくと、絶対に揃わないピースのせいでできた(ブラックホールみたいな吸引力付き)穴=私、というスタンスじゃなくても、私は人と関わってもいいんだという気持ちになれる。

この穴を誰かと一緒に見なくたっていいわけだし、放っておいてもいいわけだし、必要になったらプロと一緒に見ればいいもんね。

まずは自分が大切にかき集めたピースを、誰かと共有したい。多分それがちゃんと地に足をついて誰かと生きることだし、自分を育て直すことなのかもしれない。

健康な側面を持つ自分に、自信を持ちたいんです。そろそろ。

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