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農地保全の新しい方程式〜「たねもみプロジェクト」にみる農業の共助システム(1)

不安をあおるつもりは無いのだが、実は今、日本全国で深刻な事態が静かに進んでいる、とぼくは感じている。
それは、今後10年、いやもしかすると5年を目処に、国内各所で本格的に始まるかもしれない農地の急激な減少という事態の表面化への懸念である。
それもある時を境に、農地の耕作放棄が全国で一斉に始まるかもしれないという恐れだ。

ぼくは今、京都の北部にある山あいの町、美山町に住み、自転車を通じた地域振興や、農地保全、教育環境整備に力を注いでおり、その活動のひとつに「たねもみプロジェクト」という農地保全の取り組みがある。

この日本の農耕文化の基本ともいうべき「米づくり」を通じた活動は、単に農地を守るということで始まったわけではなく、もともとの自転車を通じた活動や、教育環境の整備の中から必然的に生まれてきた活動だ。
ぼくの活動は、一見様々なことが散逸しているように見えるが、実態は一つの芯でまとまっている。
そしてこの活動は、まだ試行錯誤の段階だが、この手法が全国での米作農地の崩壊を防ぐためのやり方のひとつとして、もしかすると各所でうまく活用できるんじゃないかと思ったのでここで紹介しようと思う。

その前に、まず、今の日本の米作農業のおかれた実態を理解するところから話を始めないといけない。

1.中山間地での農業に、もはや未来はない

実は、この農地の耕作放棄が一気に始まるというのは、別にぼくだけが感じている事じゃなく、多くの農家や彼らが属する農事組合、また本当は国もシビアに感じている事ではないかと思う。

だけど、ほとんどの地域で、様々な取り組みを行うも、その成果として農地保全が達成できているかというと、成功している例はほぼ少数にとどまるのでは無いか。
そして今、大多数を占めている70歳台以降の年齢層の農家が、まもなく一斉にリタイヤの時期を迎えること、しかしその跡継ぎがまったくもって不足しているという現状が後押しし、事態が急激に深刻化、農地の耕作放棄が一気に加速する可能性が高い。
仮にこのままこの問題を放置すると、国内の農地という農地が、下手をすると一気に半減する? などという状況が近い将来、全国で始まるだろう。

特に強く感じるのは、ぼくが住む美山町のように、いわゆる「中山間地」と呼ばれる小さな地域の農地の保全が困難な状態に陥る危険性が高いということである。

ぼくは農業政策の専門家ではないので、美山町で実体化しつつある(いや、すでに深刻な問題となっている)身の回りからの実感でしか判断はできないが、他の地域でも同じような問題は存在するので、とても小さな事例ではあるが、ぼくの集落での営農の状況を把握すれば、この10年先に訪れるであろう国内全域の状況を予測することは、ある程度可能ではないだろうか。

実は日本の米作りは、ここ4、50年と政治的な事にはじまり、様々な思惑に振り回されて来た。
特にこの30年、後継者不足や高齢化、さらには減反政策や米の自由化による価格の下落などで、がんばっても身銭にならない、将来継ぎたくない職業のひとつとして数えてもおかしくない状態に陥ってしまった。

とはいえそんなネガティブな話しだけではなく、例えば広大な圃場を活用し、機械化や効率化を推進し、品種を工夫しブランド化などの戦略を計ることで、営農として自立できている地域や個人、法人も多々あることは事実だ。
しかし、いわゆる中山間地のように、山あいにへばりつくような棚田や、小さく変形した田圃などが多数存在し、且つ個人所有の田圃がバラバラに点在する地域では、作業の効率化を図れない上に田圃の面積が狭小という、そもそも利益を上げることが物理的に困難な条件しかない。
そしてもうひとつ、その利益を出せない構造のひとつが、農家と農協との関係だろう。

2.米づくりは農家が儲からない仕組みになっている

日本の農家は、年が明けてすぐに、農水省に水稲生産実施計画書兼営農計画書を作成して提出する。
同時に農協に対しても、どのような品種をどれだけ出荷するかを申請する。
一般的な農家のほとんどは、生産した米を、地元の農協に出荷する。
(ぼくは、農協には出さず、自家消費として申請しているのであまり関係は無い)
専業ならまだしも、そもそも兼業農家の多い地域では、まず水稲の苗を農協から購入するところからはじまり、肥料、農薬も農協から仕入れる。
その上、大型機械をもっていなかったり、高齢で手が回らない農家は、田植え、稲刈り、乾燥から玄米納品までを、農協や専門業者にお願いするパターンもある。そこまでいくとそれなりの経費がかさむ。外注作業が無くても、大型農機具のローンや維持管理費などが加算される。

次に、収穫した米を農協に納品するには、等級の検査を受けなくてはならない。実はこの等級検査がなかなかにくせ者なのだ。
例えば、一般的に斑点米と呼んでいる穂の生育時にカメムシなどの害虫が穂を吸ったことによる黒く変色した米(味にはほぼ影響ない)が一定量混じっていることで、等級がワンランク下がってしまう。
当然、下級ランクでは、買取価格が大幅に下がってしまうため、農家は害虫被害を恐れ、多くの農薬を農協から購入し、散布することになってしまう。
(ちなみにこの農薬が、ミツバチ減少の原因の一つではないかと言われる、ネオニコチノイド系の農薬である)
環境および健康に影響があるとして、農薬使用を促す等級検査に関しては、現在廃止を求める声もある。(参考:東京新聞 2019年6月20日記事より)

米を作るには、とにかく金がかかる。
こうして積み上げられた、家族労働費を抜いた実費としての経費は、1反(※)当たり10万円を超えるのが一般的だ。(※1反:10アール=10m×100mの広さ)

参考資料:「米の生産コストの現状 - 農林水産省」のPDFより一部転載(リンクは図の下)

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そして今度は、米づくりの収入を考えてみる。
一般的に1反あたりの玄米の収量は、よく穫れて450kg程度と言われている。
これは30kgの玄米袋で、15袋程度となる。(当然、気象状況などによって変動する)
そして、その米の買い取り価格は、近年、一等級で玄米30kgあたり5,000円〜6,000円あたりを推移している。(下記URL参照)


単純に計算したら良くわかるが、先にあげた反あたりの経費を、この収入から出そうとすると、もはやその時点で大赤字確定である。

かつては一袋あたり高価格で買い取られた時代もあったが、それはいわゆる「生産者米価」と「消費者米価」の時代の話しで、実はその差額を税金で穴埋めしていたというだけの話しだった。
この制度が廃止されたことにより、米の価格は消費者米価に固定されてしまった。まさに農家が米を作ることを生業に出来なくなった瞬間でもある。
いや、もしかしたらもっと以前から、農家の経営は破綻していたのかもしれない。

こうして農協に30kgあたり5,000円〜6,000円で買い取られた玄米は、この後スーパーなどの店頭に概ね10,000円程度、品種などによっても違うが白米1kgあたり300円〜500円という価格で並ぶことになる。
この差額が、農協や仲買人などの中間マージン、保管、運送などの必要経費であり、このプロセスを通じて、農家の作った米が全国に出荷されていくということになる。

さて、ここで話しを戻そう。
つまりは、小規模な米づくりではもはや利益が取れない。ある程度利益を求めるなら15ヘクタール(※1ヘクタール 100m×100mの広さ、10反)以上の大規模農業が必要となり、人件費、作業費などの効率化することが不可欠である。
だが全国の大部分を占めるであろう小規模農業を行う中山間地の僻地農業では、ほぼ不可能と言わざるを得ない。

3.農家が農地を維持する理由とあきらめる理由

にもかかわらず、なぜ今、農業、それも稲作にこだわっている高齢の農家がいるのか。
そこには、経済性だけではない思いがある。例えば、

「先祖代々受け継いできた農地を自分の代で、荒らすことはできない」

という思いを持った農家が多いと言うことだ。
実際、近隣の高齢農家に話しを聞いても、この思いをもった人が大半を占める。
ただ、その農家たちの中にも、

「自分はなんとかできるところまでがんばるが、その後はわからない。
子どもたちに田んぼを継がせる気は無いので、彼らが好きに処分するなりしたら良い」

と、考えている人も多いのも事実である。
もしくは、将来どう土地を守っていくかを考えてはいるものの、明確な答えを出せずにいる農家も多い。
そして、この感覚が今の農業を支えている農家の大部分だということだ。
つまるところ、それほどまで米づくりは、お金にならないのだ。

4.高級嗜好品か主食かの二者択一の無理難題

例えば、全国各地には、石川県羽咋市の神子原米のように、ブランド力を増し商品価値を高めることによって、利益を得ている地域もあるが、全体から見れば、ほんのごく一部である。


栽培手法やそのサイドストーリーの構築により、高級ブランド化を推し進めることは確かに商売にはなるだろう。しかしあくまで、そのジャンルの中でごく一部であるからこその稀少価値によって高収益が見込めているため、いざ全体が一斉にその方法をとりだしたら、価格は下落せざるを得ないかもしれない。

そしてもうひとつ大切な事は、「米」というものが、日本人にとっての主食であるということだ。
確かに高品質な稀少品としての価値はあったとしても、それはごく一部の高級嗜好品としての価値であって、国民の主食としての位置づけと価値とは、また違ってくる。
生きるための主食としての米の存在を考えるのであれば、この多くの人が安価に米を食する事ができる環境を保全する上での、「米」の存在意義すら失う懸念もある。
どちらにしても経済性を追求した時点で、自然相手の農業には、どこか無理があるのではないだろうか。

5.農地保全こそが、国の価値を守るのではないか

それに米づくりには、もう一つ大切な役割があると考える。
それは、千年以上連綿と続けられてきた米づくりを基本とした農耕という文化によって培われた、里山環境の保全を実現する、地域コミュニティの基盤としての存在である。

もし今後、国内の農地を持つ世帯が、お金が儲からないから、跡継ぎが無いからなどの理由で米づくりを止めていくとしたら、日本独自の里山風景を守る基本となる、集落という名の地域のコミュニティが消滅してしまうことにならないだろうかとぼくは危惧している。

だからこそこの問題を、単に農業と農地の維持の問題として考えるのではなく、農業を通じた集落の維持へのアプローチとしてとらえ直す必要があるのではないかと考えるのだ。
つまり、これまでの所得を獲得するベースとしての農業としての位置づけではなく、また違った考え方、つまりこれまでに無い方程式を当てはめて、の米づくりを軸とした農地保全、そこから始まる集落、そしてその舞台となる里山景観の保全に対応しなければいけないのではないか。
農業としての視点だけでは、もはや田圃は守れないというのが実感だ。

そこで、これからの里山環境を守るための「米づくり」を目指した、農地保全を考えるため新しいやり方として進めている、美山町で行う農地保全の取り組み「たねもみプロジェクト」について考えてみたいと思う。

その前にまず、なぜぼくが美山町で農業を始めたのかを、次回、紐解こうと思う。
その2につづく

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子ども向け自転車教室 ウィーラースクールジャパン代表 悩めるイカした50代のおっさんです。