それでさ 昔にどこかで読んで、 すごい!って思ったのが (ぼくとよく話す人は知ってると思うけど) 好きをひたすら書き出せ! さらに嫌いをひたすら書き出せ! ってのがありまして、つぎに 好きはそれでよし! 嫌いは反対の意味に書き直せ! それが上っ面をひっぺがした崇高なる理想の自分様だ!って話があったんだよね。 うん、書いてて思ったけどこんなだっけな? まあ、ほぼそんな感じでさ。 で、実際に試してみて、 そのひっくり返して好きに変えられた“嫌い“の成れの果て欄の内容の恥ずかしい
さてこの"嫌い"くん ぼくの思うところなんだけど その中になかなか重要な自分がいるってはなし もう少し言うと自分の一部かな もちろん全てに、じゃないと思う。 サッといい例が思いつかないけど 食物アレルギーとかで嫌な思いをしたら そりゃその食べ物も嫌いにもなりますし、 それ以上でもそれ以下でもありません。 もう食べません。 そんな話は除いて ちょっと物、事、人に思いつくことで仕分けてみようかな はいまず"物" 物は生理的に受け付けない見た目のものがあるなー気持ち悪く感じて
(注意 読みにくいと思うけど書くを優先したいからそのままいくね) つづき 好きと嫌いは選べる。 昔のカワイイはつくれる!的な そのくらい自分でどうにでもなる部分があると思う。 いや全自動だし!とは思うだろうけど実のところ… うんまあそのあたりは前回のところだね。 時間がたつとしっかり忘れていくね。こわっ はい気を取り直して "好き"は多いのがいいね。 あー多すぎたらそれはそれで時間が足りなくて問題か。 うん、たまにそういう人居るけど そんな幸せもあるということでよし。
好き嫌いは誰にでもあるよね。 それぞれきっと必要な感覚、感情で、役割がある。 ただ本当の役割として扱えてるかというと、そうでもない。 やつらが登場する時は突然が多いね。 反射的なもの。 …じんわりくるやつもあるけど! じゃあまあとにかくその反射はどうなってんの?といえばきっと今まで自身の経験からくるものだと思う。 自分の体や精神を正常な状態で継続するために最適解をササッと判断してくれてるわけだ。 だれが?うーん、たぶん脳…とか身体そのもの。 腸は第二の脳だ!とか言うも
自慢てどう? 自慢って、言ってる側(アクション中)の自己認識が甘いことが多いから 聞く側ポジションとして考えると 各々ゆるすゆるさないの線引きってあるんじゃないかな。 あーゆるすとかそういうことではないかな? 受け入れられる、受け入れられない、好き嫌い、そんな感じか。 まあとにかくぼくの中ではポジティブな印象はそれほどない。 そして物事をわかってるっぽい人ほど自慢をしないイメージがあるからだと思う。 なんかこう、そういう人って謙虚。 自慢は上品とは言い難いように感じるな。
さあ書く! と思ったけど、何かを伝えようと思うと、自分の頭の中を体系的に全部を書かなくてはいけないから、ものすごい文章量になる。 無理やりテーマを決めると注釈だらけになるからあかーん! ぼくはテキストのプロではないから まあ勘弁してね。 ちゃんとした文章は世の中に沢山あるからそっちを読んでほしい。 ということでまずは書くんだから、言葉、文字について。なるべく短くなるよう努力するね。 文字や言葉は便利だとおもう。 だけどぼくはそれらをとても危険なものだとも思っている。
さっそく序文ってなんだ?って思う。 そんな解っているような、実は正しく理解していないような そういった不安になることは少し調べてから取り組むことが多いんだけど 今回はそのままの気分で始めてみる。 たまにくる “よしやってみるか“ って衝動。今回はそれ。 ぼくはKENBIK/ケンビック いまぼくは有難いことに結構自由に生きてる。 細かい説明は今は飛ばしちゃうけど、楽しいし、大変でもある。 そんな気持ちはきっと多くの人と同じじゃないかな。 そして何者かと言えば、東京在住で